2008年2月13日水曜日

掲示板「梁山泊」過去ログデータ 114

少しマジに>樹々の緑さま 投稿者:*鬼薔薇 投稿日:2007年 1月 6日(土)00時01分8秒
>ただ、大雑把に言って、*鬼薔薇さんのように、問題ごとに機能的かつ帰納的に考えるアプローチの仕方をする人と、享安山人さんのように、非常に原理的かつ演繹的アプローチをとる人とに分れるように思います。そして、前者のアプローチ方法をとる限り、地方と国政との参政権の境界は不分明になってくると思います。

なるほど。やはり頭が悪いとダメなのかしら(^^)ヾ

>実はその思考を進めて行くと、原理的な「国民主権」だとか「国籍」だとかの、制度的あるいはイデオロギー的な発展史を学ばなければならないなと、感じている次第です。

わたしにはちょっとむつかしいかもわかりません(^^;

>*鬼薔薇さんご紹介のサイトの論者は、「地方首長被選挙権の要件に住民要件がない以上、国籍要件で考えざるをえない、とすると、地方参政権と国の参政権とを区別して、在日外国人に地方参政権のみを認めるということは論理的におかしい」という論旨ではないかと思います。

とてもそこにまでは思いが及びませんでした(^^)ヾ
(クビ長の住民要件というのは、戦前の「知事任命制」の名残りかと…ちがうかしら)。

わたしがあの論稿でおかしいと感じたのは、「国籍」をゴルフクラブの会員権に例えていたところ。「国籍」って、そんな任意的なものとは質がちがう事柄でしょう? そこには「政治的国家」というデモーニッシュなものが厳然と介在しているわけですから。

わたし、「国籍」と「民族帰属」と「参政権」を意識的に区別したいと思うのですね。というか、区別できたらいいなと。「参政権」は、居住する政治テリトリーの内部での権利問題、「民族帰属」というのは複数の政治テリトリーにまたがって存在し、またひとつの政治テリトリー内部に複数並存するもの。そして「国籍」というのは「国家帰属」の問題。

こうした区別の条件を(日本に即して)考えますと、「民族帰属」の独立した地位が認定されていない、通俗的な表現をすれば、「少数民族」の社会的地位が正しく認知されていないところに大きな欠落を感じます。今や超有名人の姜尚中東大教授は、著書『愛国の作法』で「在日」を“日本の中の少数民族”と言っておられたかと思いますが、わがニッポン国家においては、そうした「少数民族」という位置づけ方が未確立だと思うのです。それは、よく言われる「単民族国家」という虚構が崩されていないことと同じことではないでしょうか。

追:
姜さんの上の著書、まことさんが拙苑[談話室]で紹介されたもので、そちらで感想文を書く予定が延び延びになってしまっております。近々。


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はじめましてm(..)m>樹々の緑さま 投稿者:*鬼薔薇 投稿日:2007年 1月 5日(金)23時59分38秒
>(*鬼薔薇さん)(←「*」は伏字ですか、アルコール飲料の総合名詞のような…。)

いえ、安物のアクセサリーでございます(^^)。
でも、これがあるのとないのとでは、「成分解析」の結果がちがうのですよね。

●アクセサリーなし-----------------------------------
鬼薔薇の成分解析結果 :

鬼薔薇はすべて度胸で出来ています。

●着けると-------------------------------------------
*鬼薔薇の成分解析結果 :

*鬼薔薇の66%は不思議で出来ています。
*鬼薔薇の17%はハッタリで出来ています。
*鬼薔薇の8%は夢で出来ています。
*鬼薔薇の5%は月の光で出来ています。
*鬼薔薇の2%は大人の都合で出来ています。
*鬼薔薇の1%は電力で出来ています。
*鬼薔薇の1%は祝福で出来ています。

やはりスッピンはひとさまの前にさらすものではないようで(^^)ヾ

ついでにあなたのもやってみましょうか。
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樹々の緑の成分解析結果 :

樹々の緑の98%は知恵で出来ています。
樹々の緑の2%は呪詛で出来ています。

結果の解釈はお任せいたします(笑)。

※解析ツール=Buffalin Ver0.2a

以上、お正月のお遊びということでご了解くださいませ。m(..)m


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Re: あけまして 投稿者:金 国雄 投稿日:2007年 1月 5日(金)23時28分42秒
 uesitaさん、あけましておめどうございます。
私の方こそ、大変ご無沙汰をして申し訳ありませんでした。どうかお許しください。

> おひさしぶりです(^^)
> なかなかネットを見る時間もなくなりましたが、
> ときどき読みますのでまたよろしく!

 本当に微力ながら皆さんの理解を得てささやかながら続けてくることができました。
時々、自らの能力、力量のなさに落胆するときもあります。正直。

 ただ理想(悲しむ人が生まれない社会)を求め続けることの大切さ、また皆さんと出会
えることの、何というのでしょうか、感謝でしょうか、そのことを大切に、続けて行きた
いと思うばかりです。(時々くじけそうになるときも正直ありました)

 uesitaさん、だってそうでしょう! uesitaさんも以前、声を掛けてくれなかったら私
が今もこのようにしていたのか自信もなく分からないことです。

 今日のuesitaさんのご挨拶に感謝! またこれからも宜しくお願いします。
お体を大切にしてください。

 それでは失礼いたします。
  金 国雄 拝


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Re: 新年早々このようなニュースも 投稿者:金 国雄 投稿日:2007年 1月 5日(金)23時03分23秒   編集済
 享安山人さん、こんばんは。今、該当の記事を調べたところです。

> 「武力衝突ラインに肉薄」=対日敵意むき出し-北朝鮮機関紙
>
>  【ソウル4日時事】北朝鮮の平壌放送によると、労働党機関紙・労働新聞は4日、「倭国(日本の蔑称=べっしょう=)の対朝鮮敵視政策は限界を超えている。事実、朝日関係は現在、武力衝突ラインに肉薄している」と警告する論評を掲載した。ラヂオプレス(RP)が伝えた。


로동신문 《사무라이족속의 무모한 전쟁광증》労動新聞《サムライ族のなかの無謀な戦争狂症》 (朝鮮通信・労働新聞)
http://www.kcna.co.jp/today-rodong/rodong.htm
 *この中、1月4日の6面にあります

 記事の内容自体は、翻訳サイトで確認をしていただければ助かりますが、やはり一番の
ことは、日本政府への反発ということでしょう。勿論、体制の引き締めという側面を否定
しません。

 ただ私は最近思うに日朝間での報道における「用語」(侮蔑語やそれに類似する言葉。
勿論歴史的なことなどで使用される場合は除きます)の問題が非常に目に付くようになっ
て来たように思います。また危惧するところです。

 どちらが良くてどちらが悪いと言うことではない。そのような状況の進展を憂うものの
一人です。

 「言葉」も「対立」や「戦争」を煽る道具の一つとなり得ます。私は言葉一つでも私た
ちが同じ人間としてともに尊重して生きていけるように大切に使いたいと思います。

 それでは。
  金 国雄 拝


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Re: 武士道?、参政権と国籍 投稿者:金 国雄 投稿日:2007年 1月 5日(金)22時25分52秒
 享安山人さん、鬼薔薇さん、樹々の緑さん、皆さん、こんばんは。

 今日は帰宅が遅くなり今しがた、樹々の緑さんの投稿を一読させていただきました。
樹々の緑さん、いつも本当にためになる投稿で私などいつも感謝をしております。また私
以外の皆さんにも同様に本当に参考、勉強となるところと思います。(ただし、私はまだ
理解、咀嚼できていないところがありますが、追々として)

 今、グーグルで検索(検索語:外国人参政権)
http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&ie=UTF-8&rls=GGLR,GGLR:2006-31,GGLR:en&q=%e5%a4%96%e5%9b%bd%e4%ba%ba%e5%8f%82%e6%94%bf%e6%a8%a9

 を行いましたが、かなりヒットします。ただし、私はまだ目に通すことができません。
皆さんにも参考になればと思い紹介します。

 ただ在日(コリアン)の中からも、国籍変更(帰化)を求める動き、またその上での参
政権獲得という運動(動き)も一方でまた存在します。私自身は考えを異にするところで
すが、しかしこのようなことも知っておくことが、またいろいろな点で重要かとも思い紹
介します。ただし、時間なく他の在日の方の考えを探す時間がありませんので今日のとこ
ろは次の2つのまでとさせていただきます。

在日コリアンの日本国籍取得権確立協議会
http://members.jcom.home.ne.jp/j-citizenship/

◆第7回 「国籍を考えるひろば」のお知らせです

 (中略)

  李敬宰(い きょんじぇ)さんからのコメント・・・
 「『李敬宰はなぜ韓国人なのか』と、ずっと自問し続けてきた。
 答えが出せないうちに、娘が『ミユンはなんでかんこくじん』
 と聞いてきた。誤魔化した。
   2001年、『特別永住者等の国籍の取得に関する特例法案』が公表
 された時、在日韓国・朝鮮人の生き方の中に『コリア系日本人』
 というものも加えたいと強く思った。自問し続けてきたことへの
 答えを見つけたのかもしれない。そして、まず、法案を成立させ
 て『コリア系日本人を政治の世界に排出しよう』と考えた。
  政治世界の多民族共生化だ。しかし、法案は店晒し。多民族共
 生は遠のくばかり。

 (中略)

  2005年李敬宰は2007年4月に実施される地方統一選挙の高槻市
 議選に向けて立候補の準備をはじめた。しかし、ご承知の通り、在
 日韓国・朝鮮人には参政権がない。帰化の手続き経て、2006年6月21
 日に日本国籍を取得した。2007年4月は、大きな、大きな節目となる」。


「在日」よ、日本人になろう 浅川晃広(名古屋大学大学院専任講師)/呉善花(拓殖大
学教授)/鄭大均(首都大学東京教授) 諸君!2006年6月号
「vs.日本社会」で「在日」を論じたがる在日イデオローグに惑わされるのはもう止めよう
http://www.bunshun.co.jp/mag/shokun/shokun0606.htm


 なお参政権(地方)に関しては民団が以前より要求して来たところですので、民団サイ
トで調べられるのも参考になるのではないかと考えます。

民団(民団新聞)
http://mindan.org/index.php

 それでは。
  金 国雄 拝

 追記

 >「うちの亭主の民主主義は玄関口まで」

 樹々の緑さん、他山の石としたいと思います。


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あけまして 投稿者:uesita 投稿日:2007年 1月 5日(金)19時40分26秒
おひさしぶりです(^^)
なかなかネットを見る時間もなくなりましたが、
ときどき読みますのでまたよろしく!


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武士道?、参政権と国籍 投稿者:樹々の緑 投稿日:2007年 1月 5日(金)01時42分3秒   編集済
 やっと、接続環境がよい場所に復帰できました。金さん、お手数とご心配をおかけして申し訳ありませんでした。

> 追:「武士道」?
> 今時そんなものを麗々しく語るのは、それだけで「左翼」とは申せませんね
(*鬼薔薇さん)(←「*」は伏字ですか、アルコール飲料の総合名詞のような…。)

 いやまったく同感ですね。というか、本当に恐いのですよ、うっかり出てしまう地金が…。「止めてくれるなおっかさん、背中のイチョウが泣いている」という有名なフレーズも1969年あたりに流行りましたからね。息苦しくなるのは厭だけど、団塊の世代あたりは、「エッ!」という発言が出てビックリすることがあります。もちろん、私も似たり寄ったりなのでしょうが。「うちの亭主の民主主義は玄関口まで」というのだって、大して変りはないですよ。
 どの社会でも同じだと思います。「左派」の人だから歴史的に形成された社会意識や道徳観念等々からまったく「自由」であるわけがありません。ただ「左派」の人たちは現状に批判的な態度を自覚的に明確にとるので、その破綻がみっともなくなるだけです、自分も含めて。

 参政権については、私も現時点では「感じ」でしか書けません。
 ただ、大雑把に言って、*鬼薔薇さんのように、問題ごとに機能的かつ帰納的に考えるアプローチの仕方をする人と、享安山人さんのように、非常に原理的かつ演繹的アプローチをとる人とに分れるように思います。そして、前者のアプローチ方法をとる限り、地方と国政との参政権の境界は不分明になってくると思います。

 何れにしても、議論の前提としてはっきりさせておく必要があると思われることは、もう少し具体的に「参政権」という語で何を意味させているかを、互いに一致させることと、参政権に関連する一定の問題に対する解決規準が、「国籍」を以てなされるべきであると考える場合に、それはなぜか、そのように国籍を基準として結論を出すことが適当であるかどうか、を考えることです。またその検討の際には、問題を歴史的・発展的に分析することも重要だと考えています。
 そういう意味では、どちらかというと、「接近方法」としては、私は問題ごとに機能的かつ帰納的に考えるアプローチに親近感を持つのですが、実はその思考を進めて行くと、原理的な「国民主権」だとか「国籍」だとかの、制度的あるいはイデオロギー的な発展史を学ばなければならないなと、感じている次第です。まことに曖昧・折衷的で済みませんが、あまり単純化して議論できる問題ではないと、痛感しているのです。

1.
 「参政権」の意味するところについて一例を挙げると、「行政に文句を言いに行く」ことは、たぶん「請願権の行使」にもなりうると思いますが、それは「国籍」に関係なく誰でもなしうることです。形式的には、憲法第16条が請願権の主体について「何人も」と定め、「国民は」と定めていないことに根拠が求められていますが、最も古くから、近代市民革命に繋がった国民主権の発現形態であるといわれる「請願権」は、すでに「国民の権利」ではなくなっています。
 この点*鬼薔薇さんが紹介されたサイト(初見です)の論者が、水道料金や電気・ガス料金について述べていることは、新聞記事に触発されたという側面を割り引いて考える必要はあるものの、「文句を言う」側面では、どちらも(記事の筆者もサイトの論者も)前提が変だといわざるをえません。外国人であっても、文句は言えるはずだからです。

 また、より根本的には、このサイトの論者の、この部分の議論の組立てには、アベコベのところがあると思います。それは、「水道事業が国営になったら外国人は口出しできないというのは変だ」と主張しているような口ぶりですが、結局、国政参政権(論者がいう「公民権」)がない以上、在日外国人が日本の政治に口出しできなくて当然だ、という結論に落着いているからです。
 たしかに、論者がいうように、公共事業の事業主体区分は国の法律で定められています。しかし、仮に一定の在日外国人に参政権が認められるとしたら、後から地方と国との事務区分を法律で変更して「国に取り上げ」た場合、参政権(という、一応「人権」とされている権利)の保障範囲を、法律の規定でどうにでも変更できる、という論理になってしまいます。これは、憲法の国法秩序上の最高規範性を、真っ向から否定する議論です。また、(憲法)解釈論としては逆に、憲法上の「参政権保障の範囲」の議論を、現行の法律の範囲如何で決めるという発想であり、現行憲法が厳しく否定している「法律の留保」と、ほとんど変りはなくなります。このような発想が、法の支配や実質的法治主義に反することは明白です。

2.
 次に、このような水道電気ガスの議論ではなく、このサイトでも一般に議論されているのは、「各種議会議員選挙・首長選挙・裁判官国民審査」の投票権だとか、被選挙権だとかが問題の中心でしょう。その場合でも、*鬼薔薇さんが紹介されたサイトの論者も言及しているように、被選挙権と選挙・投票権とでは、制度上も区別して考えられている以上、きちんと、それぞれについて理由根拠を考える必要があると思います。
 つまり、機能的・帰納的に考え、さらに、それらのそれぞれについて、なぜ外国籍在住者が「権利」の保有・行使を認められていないのか、認められるべきなのかを、考える必要があると思います。

 ところで、*鬼薔薇さんご紹介のサイトの論者は、「地方首長被選挙権の要件に住民要件がない以上、国籍要件で考えざるをえない、とすると、地方参政権と国の参政権とを区別して、在日外国人に地方参政権のみを認めるということは論理的におかしい」という論旨ではないかと思います。

 このような論旨は、一見すると論理的に見えますが、地方首長被選挙権要件に住民要件がないのはなぜか(まったくの推測ですが、おそらく、現行憲法で初めて地方自治制度を導入した際に、地方の人材難に配慮したのではないか、それがとくに再検討されないまま今日に至っているのではないかと思われます)、という根本問題について、検討をまったくしていないこと、また、そのような住民要件がないことが「国籍要件」を基準とせざるをえないことに自動的に結びつけられていること、この2点だけを取っても、著しい論理の飛躍があり、単なる「常識的均衡論」程度にしか評価できない感じです。「飛躍している論理」に「論理性」を感じてはなりません。

 むしろ、ここで考えるべき事柄は、享安山人さんが「国家への帰属意識」を基準として定まる「国籍」によって、権利の有無を劃すべきであると主張されているような、多数国家の併存と個々の人間のその何れかへの帰属(複数であれ、単数であれ、無国籍者は存在しないという)とを固く共通の前提としている、現代国際社会のあり方との関係、そして、それぞれの国家で追求されるべきだとされている「国民主権」との関係ではないかと思います。
 その意味では、問題は非常に「原理的」「演繹的」思考によって解決に向うのです。

 ただ、この問題でも、国際結婚をしたカップルからの、こどもの重国籍容認への強い要求がある(お父さんとお母さんと、どっちかの国籍だけを選べ、どっちかの国にだけ帰属意識を持てというのは残酷だよ、ということ)ように、ひとりひとりの人間の心の尊重(=個人の尊厳)という観点から見ると、何か高飛車に「国際社会っちゅうもんは、もともとこういうもんだて。」と説き伏せることが適切かどうか、現代では疑問が生じるのです。
 しかしだからといって、同じ人物が同時に2以上の国の国会議員になったり、2以上の国の国会議員選挙権や国民投票における表決権を保障されるというのも、非常におかしく感じられるのです。よくいわれる「国家への忠誠義務の衝突が起きる」という問題も、同じような発想でしょう。
 もちろん、この問題の解決法は考えられなくはないです。「国籍の選択」でなくても、「選挙権の選択」(あるいは「忠誠の選択」)を認めたり、あるいは、一定の国の投票権を行使したら、他の国のそれは停止するというような取扱いです。でもそれを確実にどうやって管理するのかが、また難問だと思います。
 さらに、「帰属意識」を強調すると、当然その中身が問題になりえますが、その詮索はまさに「愛国心」の定義づけに連なりうると思います。日本国憲法第10条は、「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」と定めています。この規定に従って、「国家が法律によって自己に帰属する要件としての『愛国心』が何であるかを定める」ことの危険性は、現在の政治状況を考える限り、強調してもし過ぎることはありません。(この「原理的」問題については、最後にもう一度触れます。)

3.
 さらに、社会保障・社会保険制度では、現在では、(拠出継続年数の要件を充たすかどうかは別論として)国籍要件は原則として撤廃されているはずです。

 それはなぜかというと、「内外人平等の原則」を掲げる社会権規約(国際人権規約A規約)や難民条約との関係が指摘されています(芦部信喜著・高橋和之補訂『憲法』第三版 岩波書店2002年9月26日第1刷刊 91ページ)。
 つまり、社会保障・社会福祉の観点では、すでに、当初支配的であった「国民の最低限の生活保障は、それぞれが帰属している国家自身の問題であり、国籍以外国による生活保障を外国人が求めるのは筋違いだ」という議論は、国際社会の努力によって克服されつつあるのです。
 これを「要らぬお節介」と見るか「どこに生活の基盤を置いていても、その場所で人間らしい生活を保障することは、国際社会を構成する各国の協力課題である」と見るかは、もちろん、まだまだ議論の余地はありますが、私は、これは国際法の正当な発展方向の一つの現われであると考えています。

 したがって、「在日外国人の参政権」問題を考える上でも、このような、国際法の発展の方向性とその原動力が何かを、見極めながら考えていく必要があると思います。それは、何も過去の植民地の民衆の「国籍復帰・喪失」問題に止まるものではないと思います。


4.
 2及び3の問題とも関連すると思われますが、古くから、「納税者の権利」というものが主張されます。アメリカの独立革命がまさに、その典型でした。その議論を素朴に推し進めると、在日外国人も納税者である限り、「税金や社会保障制度で無差別なのに、参政権で差別的であるのはおかしい」という議論に馴染みやすいと思います。
 しかしこの主張についても、「だったら、『個々人は、主たる納税先の国家に帰属する』という解決ではなぜいけないのか」が、同時に問われることを見逃してはいけません。つまり、「日本に生活の基盤を有するため、日本が主たる納税先となる者は、みな日本人である」という解決もありうる、ということです。これは、「在日外国人の参政権」という問題の立て方自体を否定するものです。
 しかし、「日本国籍を強制されるのは厭だが、さりとて参政権も行使したい」という主張が、いま現在の一定の人びとの主張ではないかと思います。
 ここで問題が、「重国籍の容認」問題へと繋がって来うると思うのです。すなわち、「参政権行使のために日本国籍を強制されることまでは是認できるが、そのことによって外国籍の離脱まで強制されるのは納得できない」という立場でしょう。

 何れにしても、このように、機能的・帰納的に考える限り、「税金や社会保障制度で無差別なのに、参政権で差別的であるのはおかしい」と、直ちに言えるかどうかは、それぞれの取扱いの理由が同じでないと、本来判断できないことだと思います。
 そして、いまの粗い検討の範囲では、社会保障制度については、人権の国際的保障の一環としての国際協力が理由であるのに対して、税金は、もっと本源的な「国家主権の一部である租税高権」に基づくものといえるでしょうから、単なる均衡論では片付けられません。そして、より「国民主権」理論に近い「租税高権論」に依拠する税金との均衡論では、実は、現実問題としては「日本国籍への統合」を志向してしまうことにも、注意を向けるべきだと思います。

5.
 上記2で触れた「原理的」問題については、ちょっと長くなりますが、浦部法穂教授の『全訂憲法学教室』(日本評論社 2000年11月10日第1刷刊)pp477~478から、若干の引用を紹介して、私の拙い投稿を終えます。

>  『国民主権』原理は、そもそもは、「君主主権」への対抗原理
> として、それまで君主の支配に服していた人々(君主、貴族など
> の封建的特権層以外の人民)の主権性を主張するものであった。
> つまり、そこでの「国民」は、君主および封建的特権層以外の非
> 特権層を総称するものであった。それは、国籍保持者という意味
> での「国民」ではなかったのである。要するに、「国民主権」の
> そもそもの趣旨は、「国籍を持つ者が主権者だ」ということでは
> なく、「国民」とは異質な「国民」の上に立つ権威による支配を
> 排除する、というところにあったわけである。
>  そうはいっても、「国民主権」原理と「国籍」とが、その成り
> 立ちにおいて、全然無関係のものであったわけではない。「国民
> 主権」と「国籍」とは、不可分の関係にあったことも事実である。
> しかし、問題は、そのどちらが先か、である。「国籍」が先には
> っきり決まっていて、その保持者を主権者とする原理として「国
> 民主権」が唱えられたわけではなく、まさに、「国民主権」原理
> に基づく統治機構のもとで、主権者の範囲を確定する前提として、
> 「国籍」の明確化が必要とされたのである。単純に図式化してい
> えば、「国籍」が「国民主権」の内容を規定したのではなく、「
> 国民主権」が「国籍」の内容を規定したわけである。とすれば、
> 「国民主権」が「国籍を持つ者」による権力の正当化原理となり
> うるのは、主権者たるべき者には「国籍」が与えられるという前
> 提がある場合だけのことである。逆にいえば、もしもなんらかの
> 事情によってその前提がない場合には、「国籍を持つ者」だけで
> は、その権力を正当化しえない、ということになるはずである。
> 結局、「国民主権」原理の「国民」が具体的にどの範囲の者を指
> すかは、どの範囲の者が主権者であるべきかによるのであって、
> 当然に「国籍保持者」に限られるというものではない、と私は考
> えるのである(浦部法穂「憲法と『国際人権』-外国人の参政権
> を中心に」国際人権1号p24以下参照)。
>  このように考えれば、「国民主権」原理にいう「国民」は当然
> に外国人を排除するというものではない、ということになる。「
> 国民主権」だから当然外国人は含まれないという「常識」は、い
> ま一度根本にさかのぼって検討される必要があるように思われる。


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下記のニュースソースです 投稿者:享安山人 投稿日:2007年 1月 4日(木)20時36分12秒
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2007010400631

このような論説は徒に憎悪を煽るだけです。北朝鮮が外に「敵」を作ることによって
国内を引き締めようとしているのでしょうか。


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新年早々このようなニュースも 投稿者:享安山人 投稿日:2007年 1月 4日(木)20時09分56秒
「武力衝突ラインに肉薄」=対日敵意むき出し-北朝鮮機関紙

 【ソウル4日時事】北朝鮮の平壌放送によると、労働党機関紙・労働新聞は4日、「倭国(日本の蔑称=べっしょう=)の対朝鮮敵視政策は限界を超えている。事実、朝日関係は現在、武力衝突ラインに肉薄している」と警告する論評を掲載した。ラヂオプレス(RP)が伝えた。
 論評は「米帝の対朝鮮敵視政策によって朝鮮半島情勢が暴発前夜に至った」と主張。その上で、「倭国の軍国主義者らはいわゆる『日本の安全保障』の口実の下に、わが国に対する先制攻撃で朝鮮再侵略の野望を実現しようとしている」として、日本国内での北朝鮮の脅威に対する防衛力強化や拉致問題の解決を求める声が高まっていることを批判した。
 また、「わが軍隊と人民は、日本軍国主義者らがわが国を攻撃するなら、軍事優先の威力によって無慈悲な懲罰を与え、百年の宿敵に対する恨みを晴らさずにはいないだろう」として、日本に対する敵意をむき出しにしている。

[時事通信社:2007年01月04日16時49分]


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追記 投稿者:享安山人 投稿日:2007年 1月 4日(木)19時48分26秒
韓国憲法で規定されている兵役については、今後も維持するか
或いは良心的兵役拒否の権利を認めるか否かを決めるのは無論韓国国民です。
しかし、私のような他国の者にも決定する権利は無くとも意見する自由はあると考えます。