2008年2月11日月曜日

掲示板「梁山泊」過去ログデータ 60

Re: 了解です↓の2投稿にも関連して 投稿者:金 国雄 投稿日:2006年 4月10日(月)20時08分23秒   編集済
 樹々の緑さん、こんばんは。

 まずは二稿ありますので、

 「教科書特殊指定廃止と「慰安婦」の項の書換え意見・教基法改悪」

 の投稿に関してお礼を申し上げます。何分、私自身いろいろと取り上げる時間と
能力に欠けている事情もあります。

 また、樹々の緑さん自身も仕事を持った上で取り上げ投稿していただくことに感
謝する次第です。

 私からはまずは体に大切にしてください。ということを願っているということで
す。

 続いて簡単ながら以下の投稿に関してご返事いたします。
  (引用文に関して、かってに省略させていただく部分がありますが
   ご容赦のほどをお願いします。)

>
>  でも、前にも提案したのですが、史料のどの部分をどのように解釈しているのか、それによって何が分ると金さん自身が示したいのかを、明示した方がよいのではありませんか?

 資料(史料)から学ぶことも必要と考えます。必ずしも解説が必要ともまた、私
も絶えず解釈を明示することもできません。時間的にも能力的に言っても。時に、
一次資料と考えていただければ幸いです。

 私自身、議題によって調べ初めて知る資料もあるわけです。


>  私が、この記述から理解したのは、祝日の解説中ではっきりと「併合された」と記載しているのに、記念日の名称には「日韓合邦祭」と別の用語が充てられていることの意味です。それはまさに、この筆者が、「併合」とは「自分のものにして従えてしまうこと」と、正確に意味を知っていたからだと思います。だから、「合邦」と呼び変えてしまい、印象を緩和したのだと思います。

 そのような著述者の事情(「併合」の正確な意味を持っていたかどうか)を、ここで
(取り上げた史料に関して)議論を進めるために取り上げたわけではないのです。

 著者がどのような考えを持とうとも「日韓合邦」記念日が戦前にあった事実を取りあ
げ、それが著述者の事情で生まれてきたわけではなく時の支配者によっておそらく制定
されたであろうことを通して「日韓併合」という歴史用語のその歴史性を取り上げてみ
たまでです。

 勿論、「併合」との言葉に関する樹々の緑さんの解釈を否定するものではなく逆に私
は同意しているところです。また私のみならず。とも考えます。

 ただ「日韓併合」における歴史認識の問題と思っています。

 「併合」であれ「合邦」であれその単語の解釈で終わる問題ではないのです。

 当然、日本の支配層も「日韓併合」と「日韓合邦」の用語を併用しているの
です。この事実が非常に大切です。

<参考までに>(「アジア歴史資料センター」より)*ここでは「日韓合邦」と

 貴族院令中改正案貴族院ニ提出ノ件 (目録) 9画像
   (枢密院審査報告・昭和十九年~昭和二十年)


 衆議院議員選挙法中改正法律案帝国議会ヘ提出ノ件 (目録) 9画像
   (枢密院審査報告・昭和十九年~昭和二十年)


 私は今日の樹々の緑さんの投稿を見て、その点を理解しだしているとみているの
ですが。


>  次に、「古朝鮮の呼称、表記」についてです。この<参考資料>は、「李氏朝鮮」表記の不適切さについて教えていただいた私に直接関連すると思われるので、今回だけ、書き込みます。


 私も不勉強で「古朝鮮の呼称、表記」が、いつごろより日本でも現れてきたのか知
りませんでしたが、ネットでの調査で取り上げた資料があったため皆さん(当掲示板
を訪れる方々への参考のため)への紹介ということで取り上げました。

 何分私も詳しいことが分かりませんし今そのことに時間を割くこともできません。
ただ今言えることは、この文献に拠れば「古朝鮮」(「朝鮮」ということもふくめ)
韓国併合以前にこの日本でも使用された事実があるということが分かるということで
しょうか?

 取り急ぎのご返事です。申し訳ありませんが、この件「日韓併合」(その認識)で
の議論は今は、ここまでとさせていただきます。

 そして明日からの数日、忙しくしますので他のことに関しても返事が滞る可能性が
ありますのでご了承のほどをお願いいたします。

 誤字脱字、乱筆にてお許しのほどを。

 それでは。
  金 国雄 拝


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教科書特殊指定廃止と「慰安婦」の項の書換え意見・教基法改悪 投稿者:樹々の緑 投稿日:2006年 4月10日(月)18時26分55秒   編集済
 先頃、公正取引委員会が、自らが1956年に定め、採択関係者らへの利益供与と他社が発行する教科書の「中傷・ひぼう」を禁止する形で、学校用教科書の発行会社に対して取引を規制する内容の「教科書特殊指定」を廃止する方針を打ち出したと報道されている。
 これによって、「新しい歴史教科書をつくる会」などが行ってきた、他社教科書に対する攻撃がいっそうやり易くなり、そのため従来弱小会社であっても内容を充実させることによって参入が可能であった教科書発行に、一段の寡占化が進み準国定教科書化が進行するだろうと憂慮されている。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-04-05/2006040514_01_0.html

 「新しい歴史教科書をつくる会」などが、採択前に申請本を規則に反して配布したりして、背後の資金力にまかせて異常な攻勢をかけていたことは、夙に指摘されていた。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-04-20/04_02_0.html

 折しも、この3月29日に公表された高校用教科書検定結果においては、従軍慰安婦の項の書換え検定意見が、南京大虐殺とともにクローズ・アップされている。「創氏改名」に関する麻生太郎外相の発言についても、記述が緩和されている。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-03-30/2006033001_04_0.html
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-03-30/2006033015_01_0.html

 さらに、今年の卒業式において「日の丸・君が代」強制の通達・業務命令に従順に従わなかったとして、3月31日には、東京都教育委員会は、教職員33名に処分を発した。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-04-01/2006040115_01_0.html

 先に「つくる会」教科書を採択した東京都杉並区では、区独自に教員を養成する機関が発足したとまで報じられている。

 四方八方から、歴史の真実を正確に伝え、アジア各国と日本の民衆との真の連帯を図ろうとする動きを妨げる、政治的かつ権力的な策動が「集大成」を迎えようとしている。
 その動きは、「偽メール問題」で挫折した民主党の意気阻喪(但し、もともとこの政党は「政権交代」という、それ自体どの政党でも目標にしているはずの一致点で集まった、寄合所帯に過ぎず、上記の政治的な動きを阻止する意志は持っていないが…)に乗じて、日本国憲法「の理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである」と宣言し、「ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため」に制定された、教育基本法の改悪を今国会で狙うところまで、迫ってきている。
 特に、「日本国憲法の精神に則り」の文言を削除し、第1条「教育の目的」の中に「愛国心(但し、その表現について与党内で協議中)を育む」旨定め、第10条第1項「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」との文言を、「教育行政は、不当な支配に服することなく、国・地方公共団体の相互の役割分担と連帯協力のもとに行われる」と改変しようとするなど、「国のために進んで海外に兵士として従軍し、命を捧げる」国民の育成へと、着々と歩を進めようとしていることは明らかだ。
(改変案の内容については、2005年6月16日発表の与党検討会中間報告に関する、雑誌「人権と部落問題」2005年7月号pp77~81;8月号pp78~81掲載の、土屋元規神戸大学教授執筆の連載記事による)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-03-13/2006031302_05_0.html

 その先にあるのは、憲法第9条(特にその第2項における戦力不保持規定)を改変し、日米軍事一体化の下で世界各地に「先制的自衛」の名目で侵略しかけることを可能にする、憲法の改悪だ。

 これは、単なる日本国民だけの問題に止まらない。だからこそ、「靖国神社参拝」に現れているこうした日本国家の傾向を、アジア各国の民衆は危惧しているのではないか。


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Re:了解です↓の2投稿にも関連して 投稿者:樹々の緑 投稿日:2006年 4月10日(月)14時53分19秒
 金国雄さん、こんにちは。きょうは、昨日の代休です。疲れました。

 もう、この間の用語問題では書き込みはしないつもりでしたが、ひと言だけ、申し上げます。
 下↓の2つの投稿で貼られているリンクを参照しました。

 「大祭祝日及び国民記念日」ですが、「日韓合邦祭」として、小学校の記念日にされていたことを知りました。「合邦」であれば、非常に語感がニュートラルになって、植民地化された朝鮮の学校においても、併合されたことの痛みが緩和されるかも知れないですからね。

 でも、前にも提案したのですが、史料のどの部分をどのように解釈しているのか、それによって何が分ると金さん自身が示したいのかを、明示した方がよいのではありませんか?
 私が、この記述から理解したのは、祝日の解説中ではっきりと「併合された」と記載しているのに、記念日の名称には「日韓合邦祭」と別の用語が充てられていることの意味です。それはまさに、この筆者が、「併合」とは「自分のものにして従えてしまうこと」と、正確に意味を知っていたからだと思います。だから、「合邦」と呼び変えてしまい、印象を緩和したのだと思います。
 そういう意味では、当時の権力者の支配政策(それは、朝鮮人民に対するものでも、日本人民に対するものでもある)として、以前から金さんが指摘されてやまないものだったと思います。
 でもね、私はここから、よりいっそうはっきりと、「併合」の語が持っている「支配的」意味合いが分ると思うのですよ。
 もしかすると金さんは、「合邦祭」の解説に「併合」の語が使われているから、「両者は似たような意味だ」という理解をなさって、このリンクを貼られたのかも知れませんが、ではなぜ「併合祭」と言わないのか、その点についてはどのようにお考えなのですか? 私は、そういう引用者自身の理解を明示しないと、リンクとしても不親切だと思います。もちろん、金さんご自身の掲示板ですから、これは単なる「提案」に過ぎませんがね。

 次に、「古朝鮮の呼称、表記」についてです。この<参考資料>は、「李氏朝鮮」表記の不適切さについて教えていただいた私に直接関連すると思われるので、今回だけ、書き込みます。
 この<参考資料>に書いてあることは、これほど詳細ではなくても、私も大体知っていました。ずっと以前に「予備校の『世界史』の講義で」と書いたのは、その時ちょうど「アジア各国史」というテーマで授業を受けていたのです。たしかその際に、「箕氏朝鮮」「衛氏朝鮮」「檀君朝鮮」という表記もされていたように記憶しています。もちろん、その場合の「朝鮮」は地域名です。

 金さんは、これが、私が未だ理解できていない「植民地史観」の客観的な一つの現われである、という意味で「参考」になるとして、示されているのでしょうか。それとも、すでに古朝鮮(この本の中では、「古い朝鮮王朝」を意味するのではなく、「古代朝鮮地域」を意味するものと解されます)を細分すると、「箕氏」だとか「衛氏」だとか「檀君」だとかの人名(と思われる)による王朝歴史区分が行われていた、ということを示すために、引用されたのでしょうか。

 この著作の執筆時期は、1904年ではなく、1903年6月ですが、何れにせよ江華島事件で、日本が欧米列強の真似をして朝鮮に開国を迫った後の話ですから、未だに乙巳条約さえ締結されていない時期であっても、「植民地史観」なるものはあったということなのでしょうか。そうだとしても、大事なことは、むしろ開国前の朝鮮において、古代朝鮮王朝が一括して「古朝鮮」と呼ばれていたとしても、この著作が指摘する王朝の区別はどのようにして行われていたのかではないでしょうか。それとの比較において初めて、明治維新後、それまでの「鎖国仲間」同士としての一応の「友好関係」から態度を一変させて、「『朝鮮』を単なる地域名に貶め」るような数々の不当な行為を行ったことが、明らかにできるのではないでしょうか?

 済みませんが、これ以上は、この問題で書き込みはしません。ただ、金さんの引用態度が、元に戻ってしまったのは残念です。


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古朝鮮の呼称、表記 投稿者:金 国雄 投稿日:2006年 4月 9日(日)23時14分14秒
<参考資料>

朝鮮年表 / 森潤三郎著,春陽堂, 1904
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=54011294&VOL_NUM=00000&KOMA=4&ITYPE=0


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大祭祝日及び国民記念日 投稿者:金 国雄 投稿日:2006年 4月 8日(土)23時09分9秒   編集済
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40040145&VOL_NUM=00000&KOMA=345&ITYPE=0
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40040145&VOL_NUM=00000&KOMA=346&ITYPE=0


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「こと」&「ともいう」 投稿者:金 国雄 投稿日:2006年 4月 8日(土)10時57分6秒   編集済
 今日は、しばらくぶりにネットでの一般のニュースに目を通している途中です。
その中で次の記事に目が留まりました。

在日ママ、修羅の半生--茂山貞子さん
http://www.mainichi-msn.co.jp/tokusyu/wide/news/20060329dde012040001000c.html

 在日(ただしここでは、戦前からの係累で一般的に言われる在日韓国・朝鮮人で
「韓国籍・朝鮮籍」を持つものを前提として)は、たいてい「本名」と「通名」を
持っています。

 この記事の中の珍しい「皇甫」(ファンボ)という姓に目が留まり、『韓国の姓
名字典』 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4384000561/qid=1144458798/sr=1-1/ref=sr_1_0_1/250-9289456-2689006
 によれば代表的な本貫は「永川」となっていました。

 「韓国の地名」http://www.geocities.jp/mfutatsugi/hangul.htm では영천(
ヨンチョン)永川 慶尚北道 市名。 とありこの辺りがルーツなのかとも想像し
たりもしています。

 在日が外国人登録の更新に役所に出かけて書類に書くとき「本名」と「通名」の
両方を記述します。(記述しないケースもあるかもしれませんが)

 その場合、「こと」と記述します。例えば上の↑記事の場合、おそらく次のよう
に記述するものと思います。

 「茂山貞子こと皇甫貞子」(ただしこの場合、茂山貞子の「貞子」を省略する場
合もあります)

 ここで「こと」とはと、辞書で探れば(Webでは出てこないようなので手持ち
の辞書を使いました(『新選 国語辞典』(第六版 1993年 小学館)。

 それによれば、

 (6)「通称や雅号と本名との間にはさんで」同じものであることを示す。

 とあります。

  *ただし誤解のなきようお願いしますが在日の「通名」と日本の方々の芸名である
   とか通称とは法律的に言っても異なる点があります。例えば日本の方が通称で不
   動産登記ができない(かったと記憶しますが)が、在日は「通名」で登記できる。
   かなり本名に近い扱いと感じます。

 この「こと」、「ともいう」と全く同じ意味に解釈できないかもしれませんが、
歴史を学ぶとき、この「ともいう」という言葉が出てきます。


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了解です 投稿者:樹々の緑 投稿日:2006年 4月 8日(土)01時19分39秒   編集済
 金国雄さん、こんばんは。

 前投稿で、一つ訂正があります。「合邦」という言葉は、私が日用している辞書にも「一つ以上の国を合わせること。合わせた国」とありました。したがって、「日本語にないか、新語の類」だとする点は間違っておりました。
 但し、韓国における「合邦」が、日本語の国語辞典に載っている上のような意味かどうかについては、私の見解は変りません。
 この点についてちょっとだけいえば、1965年の、軍事政権当時の韓国の認識でも、日本の植民地支配は不法だったという認識だったと思います。したがって、韓国における「合邦」という言葉が、植民地支配をことさらに直視していないとは思えない、ということです。

>  樹々の緑さんの至った結論には私は同意しかねますし、「民衆間の深いレベルで
> の連帯・団結」ということにも結果至ることはないのではとも思えます。
>  在日はじめ韓国・朝鮮人が今回の樹々の緑さんの投稿文を読んで納得する人は、
> 一般的に言ってまずいないのではないかと私には思われます。

 それは仕方がありませんね。ただ問題が絞られたことは、ぜひ記憶に止めておいてほしいと思っています。「『併合』という日本語の意味の解釈が問題であること」、それを前提にして議論を始めるべきことです。その言葉が使われた背景や、政治的動機は、意味確定作業の中で行うべき話だということです。さらに、「語の受け止め」はその後の話だということです。

 金国雄さんのご活躍をお祈りします。


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Re: 4月6日18時31分31秒までの投稿に関連して 投稿者:金 国雄 投稿日:2006年 4月 7日(金)19時42分38秒
 樹々の緑さん、こんばんは。

 引用文に関する著作権について感謝します。

 (前略)

>  金さんが、明石書店刊行の『新版 朝鮮にかかわる差別表現論』を始めとして、梶村秀樹氏らの見解に深く影響(賛同?)されている様子が窺われます。私は、これらの人たちがどういった研究歴を持っている方なのか、知りません。しかし、日本語、国語的に考えた場合、以下の記述は、韓国における「合邦」という言葉に対する評価の部分を除いて、誤っていると考えています。「合邦」という語は、たぶん日本語としてはないか、極めて「新語」の類であると思われるので、評価はできませんし、現代韓国での用法については、私はまったく無知であり、同じ漢字文化圏であるからといって、韓国語の「合邦」を日本語的に読解することは絶対に控えなければならない(それは、日本語を韓国語に読み替える場合もまったく同じ)、と確信しています。そういう、議論としては「前提」にあたる部分に関して、金さんご指摘の著者達は、初歩的な誤りを犯していないのでしょうかね?
>  なぜこういう、公刊された書籍に対しても素人がかなり「思い上がった」と受取られかねない評価をするのかといえば、それはもちろん、この間金さんに促されて勉強せざるをえなかった「併合」という日本語の意義に関する一定の勉強と検討の結果があるからです。
>
> > 言うまでもなくそれは一九一〇年の韓国併合以来のことである。この韓国併合を
> > 「日韓併合」と呼ぶ慣例がいまなお続いているが、まずここから誤認が始まって
> > いる。朝鮮の植民地化は「日本が韓国(大韓帝国)を併合した」のであって、
> > 「日本と韓国とが合わさった」のではないからである。
> >  因みに現在の韓国(大韓民国)でも「韓国合邦」という表現を使うが、植民地
> > 支配されたことを直視するためには、適切な表現とは言えまい。
>
>  引用の後半2行における非常に粗雑に感じる記述が、前半の記述の正当性に対しても、合理的な疑いを生じさせます。金さんが、こういう「ドグマ」に囚われている限り、意見が平行線を辿ることは避けられないと感じています。


 影響(賛同?)されているかどうかは別として参考として取り上げました。何しろ
今回の議論に関する資料や本などどうしても限られている関係です。ドグマかどうか
もまた別問題ですが、私もやっと疑問に思っていたことが、今回の樹々の緑さんの投
稿で氷解した点もありました。少しばかり驚きではあったのですが、それゆえ私の引
用した文章も理解されることは難しいと私は現時点で考えます。

 そして、このまま議論を続けていってもやはり堂々巡り、繰り返しになりそうです。


>  何度も言いますが、歴史的用法、現在の用法の両方について考えても、日本人は「併合」という言葉を単に国が「合わさった」というようには受け止めていません。日本人自身が、このようにいっているとき、この人たちは本当に公平に日本語の意味を検討した結果としてこういっているのか、非常に疑問です。それは、この本の刊行年現在(1992年)で考えて、とくにそうです。率直に言って、朝鮮民主主義人民共和国を無前提・無条件に「支持」していた人たちの見解であると思われることに、この人たち自身がその後(とくに2002年10月以後)どういうことになっているかを含めて、こんな見解を広めていることに「新しい歴史教科書をつくる会」とは別の意味で、憤慨しています。
>
>  著者の中には、教員もいらっしゃるようですが、この人たちは、自らの授業で「『日韓併合』というと『日韓対等合併』という意味になるから、『日本が韓国を植民地として従えた』という意味になる『韓国併合』という言葉を必ず使うように」とでも指導していたのでしょうか。つまり、この方たちは、「併合」という語には、「対等合併」と「吸収合併」という両方の意味がある、と本気で考えていたのでしょうか。
>  それが違っていると思っています。
>
>  それはまた、私自身が歴史教育において受けてきた日韓併合に関する具体的説明にも反するものです。その内容は前投稿でお話ししましたので繰り返しません。

 (中略)

>  それと、もう一度ここで述べますが、問題の所在は、「『日韓』併合か、『韓国』併合か」にあるのではなく、「併合」というにふさわしい事実が果たしてあったと言えるのか、直接的事実である「国家代表による任意の条約文への署名」はあったかも知れないが、それに先行して、彼らを骨抜きにするような不当な事実があったのではないか、その先行事情を、歴史的にどのように評価するか、また、その評価を1910年の条約の「無効」という国際法的評価へと連動させるべきか、にあるのだと思います。
>
>  先の投稿で述べた梶村氏の「併合」という語への無理解と合わせて、この人たちのこの問題へのアプローチは、一貫して「ズレて」いる、また、日本語の歪曲にもなっている、というのが、私の確信です。


 樹々の緑さんの至った結論には私は同意しかねますし、「民衆間の深いレベルでの
連帯・団結」ということにも結果至ることはないのではとも思えます。

 在日はじめ韓国・朝鮮人が今回の樹々の緑さんの投稿文を読んで納得する人は、一
般的に言ってまずいないのではないかと私には思われます。

 以後、私からは意見の投稿は差し控えさせていただきます。樹々の緑さんのご活躍
を願っております。

 それでは失礼いたします。
  金 国雄 拝


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4月6日18時31分31秒までの投稿に関連して 投稿者:樹々の緑 投稿日:2006年 4月 7日(金)01時46分2秒   編集済
 金国雄さん、こんばんは。

 最初に、別件になりますが、まことさん、提起ありがとうございました。いま私が金さんと検討している問題は、「民衆間の深いレベルでの連帯・団結」に不可避な問題だとは思っていますが、現下の情勢に関しては、通奏低音のようなものだと考えています。それは、金さんも同じ認識だと思います。ですから、この問題を検討していることによって、喫緊の課題に対する対応が疎かになってはならないと、強く思っています。

 それから、これも別件「引用」についてですが、金さんの直近の方法による限り、著作権法上の問題は生じないと考えています。素人の判断で済みませんが。最判昭和55.3.28民集34巻3号244頁は、よく引かれる判例ですが、著作権法第32条1項は、他人の著作物の引用が「公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行われるもの」であれば著作権侵害とはならないとしており、これに該るためには、前記最判は、「右引用にあたるというためには、引用を含む著作物(ここではインターネット上の書込み-樹々の緑注-)の表現形式上、引用して利用する側の著作物と、引用されて利用される側の著作物とを明瞭に区別して認識することができ、かつ、両著作物の間に前者が主、後者が従の関係があると認められる場合でなければならない」とした上で、さらに、「引用される著作者人格権を侵害するような態様でする引用は許されない」としています。
 これは、①明瞭区別性、②附従性、さらに③引用される側の著作者人格権を侵害しないこと、という3要件であるとされ(田村善之『著作権法概説』第2版 有斐閣2001年11月刊、pp241~242)、著者である田村教授は③の要件に反対していますが、われわれが自己の言説のための引証に利用する限り、③に抵触することはないでしょう。ですから、われわれが学者等の著作物を引用する場合、①②の要件に注意すれば大丈夫です。

 そこで本題です。

 金さんが、明石書店刊行の『新版 朝鮮にかかわる差別表現論』を始めとして、梶村秀樹氏らの見解に深く影響(賛同?)されている様子が窺われます。私は、これらの人たちがどういった研究歴を持っている方なのか、知りません。しかし、日本語、国語的に考えた場合、以下の記述は、韓国における「合邦」という言葉に対する評価の部分を除いて、誤っていると考えています。「合邦」という語は、たぶん日本語としてはないか、極めて「新語」の類であると思われるので、評価はできませんし、現代韓国での用法については、私はまったく無知であり、同じ漢字文化圏であるからといって、韓国語の「合邦」を日本語的に読解することは絶対に控えなければならない(それは、日本語を韓国語に読み替える場合もまったく同じ)、と確信しています。そういう、議論としては「前提」にあたる部分に関して、金さんご指摘の著者達は、初歩的な誤りを犯していないのでしょうかね?
 なぜこういう、公刊された書籍に対しても素人がかなり「思い上がった」と受取られかねない評価をするのかといえば、それはもちろん、この間金さんに促されて勉強せざるをえなかった「併合」という日本語の意義に関する一定の勉強と検討の結果があるからです。

> 言うまでもなくそれは一九一〇年の韓国併合以来のことである。この韓国併合を
> 「日韓併合」と呼ぶ慣例がいまなお続いているが、まずここから誤認が始まって
> いる。朝鮮の植民地化は「日本が韓国(大韓帝国)を併合した」のであって、
> 「日本と韓国とが合わさった」のではないからである。
>  因みに現在の韓国(大韓民国)でも「韓国合邦」という表現を使うが、植民地
> 支配されたことを直視するためには、適切な表現とは言えまい。

 引用の後半2行における非常に粗雑に感じる記述が、前半の記述の正当性に対しても、合理的な疑いを生じさせます。金さんが、こういう「ドグマ」に囚われている限り、意見が平行線を辿ることは避けられないと感じています。

 何度も言いますが、歴史的用法、現在の用法の両方について考えても、日本人は「併合」という言葉を単に国が「合わさった」というようには受け止めていません。日本人自身が、このようにいっているとき、この人たちは本当に公平に日本語の意味を検討した結果としてこういっているのか、非常に疑問です。それは、この本の刊行年現在(1992年)で考えて、とくにそうです。率直に言って、朝鮮民主主義人民共和国を無前提・無条件に「支持」していた人たちの見解であると思われることに、この人たち自身がその後(とくに2002年10月以後)どういうことになっているかを含めて、こんな見解を広めていることに「新しい歴史教科書をつくる会」とは別の意味で、憤慨しています。

 著者の中には、教員もいらっしゃるようですが、この人たちは、自らの授業で「『日韓併合』というと『日韓対等合併』という意味になるから、『日本が韓国を植民地として従えた』という意味になる『韓国併合』という言葉を必ず使うように」とでも指導していたのでしょうか。つまり、この方たちは、「併合」という語には、「対等合併」と「吸収合併」という両方の意味がある、と本気で考えていたのでしょうか。
 それが違っていると思っています。

 それはまた、私自身が歴史教育において受けてきた日韓併合に関する具体的説明にも反するものです。その内容は前投稿でお話ししましたので繰り返しません。
 この点に関しては、例えば、まだ詳しく読んではいませんが、部落問題研究所刊「人権と部落問題」2006年4月号pp42~49「過去を未来につなぐ現在-『未来をひらく歴史』の可能性」(大日方純夫)を、ぜひご参照下さい。
 そこには、次のような記述がありました。

> 戦後六〇年を迎えた日本社会の戦争認識の状況にふれ、『世論調査』の結
> 果に即して、戦争認識には世代差がみられることを指摘した。一九七〇年
> 代から八〇年代にかけて、日本では戦争の侵略性・加害性に関する認識が
> 増大した。ところが、九〇年代半ばからこの一〇年間に、こうした戦争認
> 識には一種の逆流現象がおこった。若年層の戦争認識にその結果が現れて
> いるのではないか。(同書43ページ)

 ここでは、直接には「戦争認識」が取り上げられていますが、「植民地支配認識」も、同じようなことが言えるだろうと考えています。それは、この一種の逆流現象が、「新しい歴史教科書をつくる会」らの勢力の動きと連動している旨の指摘があるからです。

 なお、ここでちょっと脱線しますが、前投稿で法律上(商法-この5月からは会社法上)の「合併」の制度についてと、一般用語としての「合併」の意義とを区別して下さるように、注記をさせて下さい。

 その上で論を進めると、商法制度上の意義も含めて「合併」には「対等合併」と「吸収合併」という、2つの意味があります。「合併する」という動詞には、「AとBとが合併する」というような、自動詞としての用法と、「AがBを合併する」というような、他動詞としての用法とがありますが、前者の用法がより一般的です。そして、後者の用法で「合併」を使うときには、「AがBを併合する」すなわち、「自分の一部として取り込む」という意味合いになります。
 そして、「併合」はこの両者の中で「吸収合併」というような意味しか担ってはいない、ということです。この人たちは、「併合」の語がサ変(=サ行変格活用)の「他動詞」と名詞でしか使われないという日本語的客観的事実を、どのように考えているのでしょうか。
 しかも、この人たちは、「日韓併合」を前投稿における「関電による六社併合」と同じ感覚で捉えている(前者の「日韓」が後者の「六社」に相当する)けれど、国際社会には、いまでさえ、「関電」に相当する存在はないということを、どのように考えているのでしょうか。金さんが、この人たちの意見が「公刊されている書物に記載されている見解だ」ということで、私の指摘よりも「より信頼性がある」と考えるなら、「新しい歴史教科書をつくる会」の市販本も、やはり「公刊されている書物」ですよ。

 金さんが指摘された、神戸大学付属電子図書館の「独墺併合」に関する新聞記事を丹念に読んで下さい。
 それは、「先の大戦」すなわち第1次世界大戦後、オーストリア国家が、財政的その他の事由から非常に困難に陥っているのを解決するため、その救済策として3分割して、ドイツ・チェコ・ユーゴスラビアに「分属」させるか、その全部を「ドイツに併合する」かの何れかが論議されている、ということがテーマです。そんなことは、ヴェルサイユ条約の基本原則となった「ウィルソン14ヵ条」や革命直後のソビエト「平和に関する布告」にもある「無賠償・無併合」の原則にも反するのではないかということで、問題があるとされているが、さりとてオーストリアの救済を等閑視はできない、という趣旨の記事でしょう?
 そこでは、「国が合わさる」というような、非常にニュートラルな表現として「併合」という語が使われているのでもなければ、「オーストリア国家が存続する」という前提で「併合」という救済策が語られているのでもありません。
 また、記事中で「合併問題」と表現していることは、前投稿でも述べ、上記に再述したとおり「合併」を「併合」と同じような意味で使った場合であって、「併合」の語の意味が「合併」と同じ範囲になっているわけではありません。先に見出しで「併合」といっているから、記事の後で「合併」と表記しても、誤解は生じる余地がないのです。

 その後のご紹介に係るサイトを、現時点まででは参照していませんが、それは、先の数件を丹念に読んで、無駄な気がしたからです。新聞記事は、作成時に国語的にかなり厳しく検討されていると思われるだけに、どこまで行っても同じようなことだろうと思ったからです。

 それと、もう一度ここで述べますが、問題の所在は、「『日韓』併合か、『韓国』併合か」にあるのではなく、「併合」というにふさわしい事実が果たしてあったと言えるのか、直接的事実である「国家代表による任意の条約文への署名」はあったかも知れないが、それに先行して、彼らを骨抜きにするような不当な事実があったのではないか、その先行事情を、歴史的にどのように評価するか、また、その評価を1910年の条約の「無効」という国際法的評価へと連動させるべきか、にあるのだと思います。

 先の投稿で述べた梶村氏の「併合」という語への無理解と合わせて、この人たちのこの問題へのアプローチは、一貫して「ズレて」いる、また、日本語の歪曲にもなっている、というのが、私の確信です。


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Re: 入管法改定案に異議あり!4.5院内集会アピール 投稿者:金 国雄 投稿日:2006年 4月 6日(木)18時34分38秒
まことさん、こんばんは。

 本来ならば私の方よりとりあげなければならない内容ですが、紹介していただき
本当にありがとうございます。

 それでは。
  金 国雄 拝