2008年2月14日木曜日

掲示板「梁山泊」過去ログデータ 121

Re:兵戈無用 投稿者:享安山人 投稿日:2007年 2月 5日(月)21時32分45秒
ローマ帝国時代、基督教徒の中に
兵役に就くよう命じられて、「人を殺す事はできない」と
処刑=殉教の道を選んだ兵士がいたそうです。

所がローマ帝国が基督教を国教とするや、教会指導者たちは
「兵役に応じる事は基督教徒の務めである」と指導するようになったと聞きます。

権力に屈して教えを捻じ曲げたのは、仏教だけではありません。
私こそが、その事を自戒せねばならないと思います。


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自虐とは 投稿者:享安山人 投稿日:2007年 2月 5日(月)21時17分30秒
金国雄さん、樹々の緑さん、こんばんは。

樹々の緑さんの投稿を先程読み終えました。
私の方に誤解、誤読などもあると思いますが、どうかお許し下さい。

私が「自虐」と聞いてイメージするのは、下で記したように
「十代前半の少年=火垂るの墓の主人公が『俺は加害民族の一員なんだ!許してくれ!』と絶叫する姿」です。(実際にはそんな場面はありませんが、恐らく中央日報の記者はそのような物語を望んでいるのでしょう)。

私の母方の祖父は、職業軍人ではありませんが日中戦争で金鵄勲章を下賜されました。
それは直接か、割り引いても間接的に中国人を死に至らしめた結果です。
その殺された中国人の子孫を目の前にすれば、私はどうすべきなのか。
これも先に述べた事ですが、

他者の命を奪う罪、その重みを理解しようとすれば却って
軽率に「先祖に代わって謝罪」など出来ません。
「二度と先祖のようなことはあなた方にはしません」と決意することはできても。

としか言いようがないのです。
「私の祖父を返して下さい。」と言われても何もできないのです。

どのような「勲功」で金鵄勲章を下賜されたのかは、遂に聞くことが出来ず
祖父は十数年前に亡くなりました。私達にとっては慈愛に溢れた祖父でした。
その過去を抉り出す事は私には出来ませんでした。弟を太平洋戦争で亡くした為、
「勝つ勝つと言って置いて」と東條英機大将を嫌悪していた事などは知っていますが。
弟=私の大叔父は輸送船で南方に移送される途中に、敵潜水艦に撃沈されて亡くなったそうです。戦地に辿り付けても生き延びられなかったかもしれません。

>「世界のどの国を見ても、そこまで徹底的に自己批判をした国など存在しない」というならば、真っ先にそれを実践する栄光に浴すればよいだけです。常に、答えは自分自身の中にあるのだと思います。それをしようともせずに、形式的な「謝罪と反省」の美辞麗句を並べ立てるだけだから、被害近隣諸国民から「胡散臭い」と思われるのです。

「謝罪と反省」には「美辞麗句」だけではなく「実」が求められるのが
国際社会というものだと思います。その「実」が当時生きていなかった世代の
直接的負担になる、詰まる所は「補償」になるとすれば、果たして
どれだけの日本国民が納得できるでしょうか。その反応として
「私は何もしていないのに何故補償を求められるのか」
「中国共産政府や金正日政権こそ日中戦争や植民地支配の
何倍もの人民を殺してきたではないか」
といったものが噴出し、排外的感情に繋がる危険性もあると思うのです。


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ヒキガエル 投稿者:金 国雄 投稿日:2007年 2月 5日(月)20時31分28秒   編集済
 皆さん、こんばんは。

 以前、「デイリーNK日本語版」でのニュースの中で、朝鮮(北朝鮮)の市場で売られていた乾燥ガエル(ヒキガエル)について、以前、チングさんに聞いた(証言)ところによれば、「「漢方薬」として人気があるとのこと、そのため近年少なくなってきた、とのことでしたが、それとは別に『韓国言語風景』(渡辺吉鎔 岩波新書)の中にも韓国でのヒキガエル(トゥコビ・두꺼비)の話がでてきます。

 小見出し「ヒキガエル地は幸せを招く」のなかでは、

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 韓国には、土地の形を自然界のものにたとえ、それが吉地かどうかを説明しようとする古くからのならわしがある。これは最近、日本でも耳にするようになったが、「プンス」(風水)思想に由来する。

 (中略)

 ちなみに「ヒキガエル」の形は家を守り、財をもたらすとされる。そして「ヒキガエル」はその賢さが小話にもなっている。
 ある日、宴会で「ノロ鹿」、「うさぎ」、「ヒキガエル」が上座を競いあった。韓国では、年齢の上の者が上座にすわる。そこで「ノロ鹿」はいった。

 「わしは天地開闢のとき、空に星をつけたのじゃ」

 ついでうさぎは、

 「私はノロ鹿が空にかけたハシゴ用の木を植えましたよ」

 そうしたらヒキガエルは涙しながら、

 「その木で槌をつくっていた孫が、木から落ちて死んだのが悲Lいのう」
と。

 自然に逆らわず、自然との調和をこころみながらも、自然の恵みをできるだけこうむろうとしてきた人々の姿が、風水思想のなかからも見えてくる。このように、身体感覚や自然観の諸相をつみ重ねてみると、いままでえたいが知れないと感じていた東アジア的文化の原風景がわずかながらも見えてくるように思える。

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 そういえば同じく新聞記事に拠れば、ヤマカガシ(蛇)の毒の研究で食用にしているヒキガエルの油の成分が毒になっているとの研究記事が載っていましたが、俗に言う「がまの油」も少量ならば狭心症でしたか? 薬になると。同様にチングさんの話の中にもヒキガエルの油が体に良いとの言葉がありましたが、それ以上については良く分からないようでした。そのことを記事を読んで思い出しました。

<今日目にしたものより>

兵役期間を段階的に6カ月短縮、学校制度の改正も(聯合ニュース日本語版)
http://japanese.yna.co.kr/service/article_view.asp?News_id=012007020502500
竜山の国立中央博物館、入場客500万人突破(聯合ニュース日本語版)
http://japanese.yna.co.kr/service/article_view.asp?News_id=052007020500600
ヒル次官補「米が北に望むのは核活動凍結以上の措置」(中央日報日本語版)
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=84333&servcode=500§code=500
『竹の森遠く』著者インタビューその後…(中央日報日本語版)
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=84307&servcode=400§code=400
【コラム】「われわれは北朝鮮を知らない」(上)(朝鮮日報日本語版)
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/02/05/20070205000064.html
【コラム】「われわれは北朝鮮を知らない」(下)(朝鮮日報日本語版)
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/02/05/20070205000065.html
【社説】「人間らしい生活」を夢見た脱北者に絶望を与える韓(朝鮮日報日本語版)
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/02/05/20070205000007.html
ハンナラ党の進歩派、理念問題で保守陣営を直(東亞日報日本語版)
http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2007020595928
[オピニオン]先軍革命の番犬(東亞日報日本語版)
http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2007020594108
国内に定着した脱北者 'アメリカの幻想'から覚める時(デイリーNK日本語版)
http://www.dailynk.com/japanese/read.php?cataId=nk01000&num=187
北'8末9初'の校内暴力, 映画 ‘チング(友達)’より深刻(デイリーNK日本語版)
http://www.dailynk.com/japanese/read.php?cataId=nk01000&num=189
8日から北京で6者会談 米国の決断次第では急進展(朝鮮新報日本語版)
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2007/04/0704j0205-00001.htm
〈朝鮮近代史の中の苦闘する女性たち-17〉 舞踊家 崔承喜(上)(朝鮮新報日本語版)
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2007/06/0706j0203-00001.htm
6カ国協議:ヒル氏 「枠組み合意」に似た結論否定せず(毎日新聞)
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/asia/northk/news/20070206k0000m030025000c.html
朝鮮半島和平へ作業部会 6者協議で中国が提案方針(朝日新聞)
http://www.asahi.com/international/update/0205/001.html
現実主義の落とし穴(中日新聞)
http://www.chunichi.co.jp/00/sha/20070204/col_____sha_____000.shtml
主張 朝鮮有事対処計画 平和的解決の流れに水をさす(しんぶん赤旗)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-02-05/2007020502_01_0.html
主張 アメリカ経済 危険水域に入る「双子の赤字」(しんぶん赤旗)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-02-04/2007020402_01_0.html


<参考までに>

 *先週より「しんぶん赤旗」紙上に「戦争と画家たち」との連載記事が載っているため、目に留まりました。

GHQと153点の戦争記録画 -戦争と美術- 増子 保志
http://atlantic2.gssc.nihon-u.ac.jp/kiyou/pdf07/7-13-22-masuko.pdf


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「申し開きができない」という気持ちと事実 投稿者:樹々の緑 投稿日:2007年 2月 5日(月)16時52分20秒   編集済
 享安山人さんと金さんとのやり取りを、深い関心を持って拝見しています。先週末まで多忙のため気づきませんでしたが。

 このやり取りに「割り込み」をするのはよくないと心から思うので、お二人のいままでのやり取りから私が勝手に連想したことだけを述べさせていただいて、今後の参考にしていただければと思います。「何ゆえにそのようにいたるのか」(金さん)という社会科学的な分析はひとまず措かせて下さい。

 享安山人さんは、私や金さんと比べても非常に若い世代であると思いますので、「忠魂碑」や「八紘一宇」の銘がある石碑に対して金さんが懐く感情について、「百年以上も経ってから先祖に代わって子孫に『謝罪』させるような思考方式」「罪九族に及ぶ」に似た受け止め方をされるのも、理解できないことではありません。

 しかし、これは単なる時代論や世代論に解消される問題ではないと思うのです。
 というのも、東条英機の勝子未亡人だとか、藤岡信勝教授だとか、ちょうど、世代段階を異にする人たちの間に、第二次大戦後現在に至るまで連綿として受け継がれている「自虐史観への反感」に似た感情が、その根底にあるような気がしてならないからです。
 そして、現代日本社会において、その感情を持つ潮流が、政府の教育政策を左右するほどの影響力を持ち、非常に単純化していえば、社会状況としては、あたかも、これに対抗する歴史観との間で「対等に真理性を争う学説」であるかのような様相を呈しているところに、問題が集中的に表れているように感じるからです。

 「自虐史観への反感」を唱える「学説」の論者らが、なぜ「自虐」という呼称を用いているのかを考えると、それは、彼らが批判している歴史観が、日本人の自尊感情を自ら傷つけるような内容であると思っているからです。論者らは、自己に対立する歴史観が基礎としているあれこれの「事実」自体についても、例えば、南京大虐殺を非常に過小に評価する(あるいは存在しないものとして扱う)ことに見られるように、できる限り否定するのが常です。なぜそんなことに躍起になるのかというと、もしそれが「本当の事実」であるなら、その事実に含まれている行為は、その当時においても、人間として決して「申し開きができない」部類の事実であることを、よく知っているからだと思います。当時それらの一部が「違法ではなかった」、「後世の高みから過去を裁断することは方法論として間違っている」というようなことは、いわば後から取って付けた「後知恵の理屈」でしかないと思うのです。

 それらの事実は、一般的な「倫理」という意味においてもそうですが、同時に、日本人が明治維新に先立つ激動期において社会変革の推進力としていた「尊王攘夷思想」などからいっても、「申し開きができる」ことではなかったと思います。

 当時の日本人が欧米帝国主義・植民地主義に対して最も敏感に反抗したのは、彼ら欧米人が、その表向きの友好性とはまったく裏腹に、日本人を対等の人間として尊重する気など毛頭持ち合わせていないことを、身体感覚として理解していたからではないでしょうか。このような「人間としての平等への希求」が根底にあるとすれば、歴史的条件の偶然の不均等が原因となって自分たちよりも「一歩遅れていた(かも知れない)」東アジアの封建諸社会の民衆が、自ら帝国主義・植民地主義に対して立ち上がることを否定する理由など、どこにもないはずです。当時の日本人が、他方で欧米の社会制度から渇いたように学ぼうとしたのは、まさに自分たちがこの点で「一歩遅れている」ことを深く自覚していたはずだったからです。明治維新直後の時期において、自由民権運動が各地で沸き起こったのも、決して「西洋かぶれ」のなせる業ではないと思います。
 ところが、当時の日本人は、まさに「己の欲せざるところを他人に施」してしまったのです。しかも、場合によってはよりいっそう残忍なやり方においてです。
 それがどんなに「申し開きできない」ことであるかは、いうまでもありません。

 「自虐史観への反感」を唱える論者らは、そのことを知っているのですが、いまになってそれらを、「消しゴムで消し去ってしまいたい」という欲求に駆られているのです。その本質は、自らの真相と対決することができない、勇気の圧倒的な欠如だと思います。現首相が、「日本国憲法は、大東亜戦争に負けた日本が書かせられた『詫び証文』だ」と言って憚らないのも、そうした、私から見ると間違った自尊感情が言わせていることだと思っています。

 では、これらの論者が非難している「自虐史観」に立っている人たちは、本当に自尊感情を自ら痛めつけるような「自虐的な」主張をしているのでしょうか(議論を単純化することをお許し下さい)。

 そうではありますまい。
 国家と人間とをまったく同視することは非科学的ですが、あえて言えば、人間は、過ちを避けられない。だからこそ、その過ちを直視し、自らを振り返って、なぜそんな過ちを犯したのかを深く考え、ふたたびその過ちを繰り返さぬように心懸けることができるのだと思います。
 そうした人間存在に対する洞察に基づいて、自らが犯した過去の過ちと正対し、その真相を追究するとともに、それに対する謝罪と反省の意思を明確にすること、その被害者が存在する場合には、その被害の回復について、誠意を尽くすこと、これらを行うことこそ、人間としての自尊感情を深く充たすのではないでしょうか。

 それは、良心を持つ人間にとっては、非常に辛い過程です。「ナヌムの家」を訪問したKCの女子学生の一人が倒れ込んだといいますが、若い女性の反応としてはごく自然なことだと思います。しかし、自分が(もちろん、この場合個体としての「自分」ではありえませんが)何をしたのかを全面的に分析しないでおいて、「勇気を振り絞って自らの過ちと対決した」という自尊感情の充足は、もたらされえないのです。非難されている「自虐史観」論者たちは、いわば、そうした、人間として「一歩高い」自尊感情の充足こそを目指しているのだ、とはいえないでしょうか。
 そして、「自虐史観非難」論者は、こうした苦痛から目を背け、とりあえず「厭なことは見ない」ことにして、このような「自尊感情」を満足させるあれこれの事実を好んで収集し、お手軽に自尊感情を充たすことばかりを考えている、とはいえないでしょうか。

 「世界のどの国を見ても、そこまで徹底的に自己批判をした国など存在しない」というならば、真っ先にそれを実践する栄光に浴すればよいだけです。常に、答えは自分自身の中にあるのだと思います。それをしようともせずに、形式的な「謝罪と反省」の美辞麗句を並べ立てるだけだから、被害近隣諸国民から「胡散臭い」と思われるのです。
 しかも、すでにナチズムによるホロコーストの真実解明を、世代間の厳しい軋轢を乗り越えて国民的事業として行ってきたドイツの例を見るまでもなく、例えば2月3日付の時事電でも、
アメリカ人権宣言発祥の地として有名なヴァージニア州議会において、植民地発展とともに盛んになった黒人奴隷売買に対する「深い遺憾の意」を表明する決議を全会一致で採択した、とあります。200年も前の話です。自らが人間としてよりよく生きようとするならば、この種の問題は、「自分や親の世代のことではないから」と言って、避けて通ることができない性質の問題であると感じています。

 確かに日本では、箕面忠魂碑訴訟だとか、靖国参拝訴訟だとか、歴史の事実と向き合った形での民衆のたたかいが、ずっと以前から展開されています。しかし多くの日本国民は、これを他人事として感じてきたのではないでしょうか。
 南京大虐殺の事実をめぐる訴訟や女性国際戦犯民衆法廷での元日本軍兵士の証言など、ちらほらと、当時の当事者であった日本の民衆の口から、加害の具体的事実が語られています。しかし他方で、ビルマで米軍によって解放された際の写真に写っている、「若春」と名づけられた朝鮮人元「慰安婦」の写真を何十年後かに見て、「覚えている。いい女だった」と言ってのける元日本軍兵士もいるのです。
 そして、多くは、先頃のETV特集で孫の(おそらくは享安山人さんに近い)世代の人たちが調査している様子がドキュメンタリー化されていた中にあったように、「俺は畳の上では死ねない」と戦場体験を口にしながら、具体的な事実については何も語らないままに亡くなって行っているのが実情ではないでしょうか。「語らない」ということは、「とても語れない」という、一つの良心の表れであるかも知れません。しかし、そうして封印してしまえば、真の自尊感情の充足は、永遠に図れなくなってしまうのです。それは、私たち戦後生まれの日本人に対する、とんでもない負の遺産であることに、最晩年を迎えている人たちには早く気づいてほしいと願っています。本来であれば、国が率先して、体験談を収集しなければならなかったのです。

 被害者の言動が「行き過ぎ」だとか、「的外れのものがある」だとかのことは、「だから、こちらも程々にしておけばよい」という理由にはならないと思います。私たち自身のあり方が問われているのであり、国民的経験としては、もはや「具体的経験との正対」自体が、時間の経過(当事者の死亡)によって不可能になりつつあるからです。そしてまた、その「国民的経験」を捉え直すべき主体の中に、天皇自身が含まれていないとする、何らの根拠も存在していないとも言えるのではないでしょうか。

 長くなって済みません。享安山人さん、けっしてあなたを非難しているのではないことを、理解していただきたいと願っています。


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兵戈無用 投稿者:金 国雄 投稿日:2007年 2月 4日(日)21時41分47秒   編集済
 享安山人さん、こんばんは。

> 19世紀末、戦争は犯罪ではありませんでした。清朝の光緒帝も対日開戦に積極的でした。


 仏教の経典(『佛説無量寿経』(下))の中に次の言葉があります。

 「兵戈無用」

 ゆえに大谷派(だけではありませが)は、天皇制国家日本の日清戦争への協力においても自ら教え(教団)を捻じ曲げなければなりませんでした。(二諦相依ノ宗義)

 それでは。
  金 国雄 拝


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時代の限界性 投稿者:享安山人 投稿日:2007年 2月 4日(日)19時04分34秒
金国雄さん、たびたびお返事を下さり、申し訳ありません。
ただ、思っている事は率直に申し上げるのが礼儀でもあり誠意でもあると思いますので
お手数をお掛けしますが書かせて頂きます。

>余りにも手前勝手に私には映ります。もちろん日清戦争の初戦まで、当時の大国といわれ>た中国と戦うことに明治天皇は気乗りがしなかったようですね。しかし、戦勝がつづくと>安堵したのでしょう。率先して戦争遂行していくことないなったようですね。それは脇に>おいても「宣戦布告」は天皇の名において発せられています。

19世紀末、戦争は犯罪ではありませんでした。清朝の光緒帝も対日開戦に積極的でした。
日露戦争の時には反戦派になる内村鑑三ですら日清戦争を「義戦」と称えました。
そのような時代背景の中にあって、敢えて「朕の戦争に非ず」とし、「神宮や孝明天皇陵に
奉告するのは心苦しい」とまで述べられたのです。私はそこに明治天皇の良心を見ます。

そして、一旦戦争を始めてしまった以上は、負けたら亡国なのです。
戦勝が続くと天皇が安堵されたのは当然だと思います。
反戦平和がいわば国是となった現代日本の価値観で明治人を裁く事はできません。

>戦前は責任を問うどころか、不敬罪、大逆罪で罪のない者が命を失いましたね。
それは明治天皇の罪ではないと思います。大逆事件については私も少しだけ
以前調べましたが、多くの無実の人がいる反面、当時の法律では死刑にならざるを得ない人
(菅野スガなど)がいたのも事実です。無論それで無実の人々の処刑の正当化はできませんし、また私は死刑そのものにも反対です。しかし明治天皇が自ら無実の人を狙い定めて
死刑に処したのではありません。

私が洗礼を受けた札幌の教会でも、戦時中に牧師が不敬罪に問われました。
幸い命を落とす事はありませんでしたが。不敬罪も大逆罪も、その復活など
望んではいません。(仮に不敬罪が復活したら私も罪に問われるでしょう)。

どのような国家も完璧に人道主義的な歴史を歩んできてはいません。
もしあるとすればそれは「神の国」か己を偽る国家です。
「時代の限界」を考えるのも大事かと思います。
但し、事を全て「時代の限界」で片付けるのではなく、その中で失われた
貴い生命の事を忘れてはいけない、それが「保守」の私に課せられたことではないかと。

私は嘗てこの詩を読んで涙したことがあります。もしご存知なら済みません。

与謝野鉄幹


誠之助の死

大石誠之助は死にました、
いい気味な、

機械に挟まれて死にました。

人の名前に誠之助は沢山ある、

然し、然し、

わたしの友達の誠之助は唯一人。

わたしはもうその誠之助に逢はれない、

なんの、構ふもんか、

機械に挟まれて死ぬやうな、

馬鹿な、大馬鹿な、わたしの一人の友達の誠之助。



それでも誠之助は死にました、

おお、死にました。



日本人で無かつた誠之助、

立派な気ちがひの誠之助、

有ることか、無いことか、

神様を最初に無視した誠之助、

大逆無道の誠之助。



ほんにまあ、皆さん、いい気味な、

その誠之助は死にました。



誠之助と誠之助の一味が死んだので、

忠良な日本人は之から気楽に寝られます。

おめでたう。


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Re:個々人の責任 投稿者:金 国雄 投稿日:2007年 2月 4日(日)18時02分12秒   編集済
 享安山人さん、こんばんは。

> 天皇の名による国家の行為は、宣戦にせよ併合にせよ輔弼、輔翼の責任者たちが負うべきものと考えます。日清戦争で明治天皇が「朕の戦争に非ず」と言われたのは周知の通りです。

 余りにも手前勝手に私には映ります。もちろん日清戦争の初戦まで、当時の大国といわれた中国と戦うことに明治天皇は気乗りがしなかったようですね。しかし、戦勝がつづくと安堵したのでしょう。率先して戦争遂行していくことないなったようですね。それは脇においても「宣戦布告」は天皇の名において発せられています。

<参考までに>

宣戦ノ詔勅(アジア歴史資料センナー)
http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/listPhoto?IS_STYLE=default&ID=M2006090417540125013
標題: 御署名原本・明治二十年・勅令第三十九号・官吏服務紀律改正
http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/listPhoto?IS_STYLE=default&ID=M2006090418122539177

> また、帝国憲法第3条で法的責任を問う事はできません。

 不可侵ですね。帝国憲法下、日本国憲法下、こと天皇制(現在は象徴天皇制ということで異なりますが)は戦前と連続していますね。

 戦前は責任を問うどころか、不敬罪、大逆罪で罪のない者が命を失いましたね。

高木顕明(グーグル検索)
http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&ie=UTF-8&rls=GGLR,GGLR:2006-31,GGLR:en&q=%e9%ab%98%e6%9c%a8%e9%a1%95%e6%98%8e

 それでは。
  金 国雄 拝


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バロン西 投稿者:金 国雄 投稿日:2007年 2月 4日(日)17時39分10秒   編集済
<今日目にしたものより>

「拉致問題で過去清算を回避」労働新聞が日本批判(聯合ニュース日本語版)
http://japanese.yna.co.kr/service/article_view.asp?News_id=142007020400400
外国人が支払う金融手数料、前年比54%の急増(聯合ニュース日本語版)
http://japanese.yna.co.kr/service/article_view.asp?News_id=482007020202600
外国人も「金・李・朴・崔」を好む(中央日報日本語版)
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=84296&servcode=400§code=410
保存か撤去か…木浦に残る日本統治期の建築物(下)(朝鮮日報日本語版)
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/02/04/20070204000016.html
保存か撤去か…木浦に残る日本統治期の建築物(上)(朝鮮日報日本語版)
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/02/04/20070204000015.html
ナイ教授に聞く「北東アジアで戦争が起きる可能性は?」ジョゼフ・ナイ教授インタビュー(下)(朝鮮日報日本語版)
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/02/03/20070203000031.html
ナイ教授に聞く「韓国は核武装してはならないのか?」ジョゼフ・ナイ教授インタビュー(中)(朝鮮日報日本語版)
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/02/03/20070203000030.html
ナイ教授に聞く「米国は韓国の対北制裁をどう評価するのか?」ジョゼフ・ナイ教授インタビュー(上)(朝鮮日報日本語版)
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/02/03/20070203000029.html
開城工業団地で浄化した水、地域住民に供給 (朝鮮日報日本語版)
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/02/03/20070203000021.html
米専門家 “政権交替後も'包容政策'変えられず”(デイリーNK日本語版)
http://www.dailynk.com/japanese/read.php?cataId=nk00100&num=184
原子炉停止の条件に重油50万トン以上など要求 北朝鮮(朝日新聞)
http://www.asahi.com/international/update/0204/003.html
北朝鮮で「犬肉」は、故金日成主席お墨付きの高級食材 - 韓国(AFP)
http://www.afpbb.com/article/1293422
米朝金融制裁協議:北朝鮮、制裁拡大を警戒 「マカオの次はスイスか…?」(毎日新聞)
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/asia/news/20070201ddm007030110000c.html
永遠の友 忘れない 硫黄島で戦死『バロン西』へ(東京新聞)
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20070204/mng_____tokuho__000.shtml


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Re:個々人の責任 投稿者:享安山人 投稿日:2007年 2月 4日(日)13時41分54秒
おはようございます。大阪でも朝こそ寒かったものの
昼の今では暖かくなりました。

>天皇が最も最たる責任ある為政者ということになりましょう。かつては。

天皇の名による国家の行為は、宣戦にせよ併合にせよ輔弼、輔翼の責任者たちが負うべきものと考えます。日清戦争で明治天皇が「朕の戦争に非ず」と言われたのは周知の通りです。
また、帝国憲法第3条で法的責任を問う事はできません。
数多の人々の死に対する道義的責任は否定しませんが、
少なくとも昭和天皇は退位して「楽になる」より
在位される事で敢えて苦難の道をお選びになって責任を取られたと思います。
今上陛下に譲位されて仁和寺あたりに引き篭もられる方が個人的には遥かに
「楽」だったでしょう。


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Re: 追記:個々人の責任 投稿者:金 国雄 投稿日:2007年 2月 4日(日)09時50分49秒
 享安山人さん、おはようございます。

 今日もいい天気で暖かい。今のところ当地では冬が実感されません。今日ものんびりとしています。また明日より忙しくなりますので。

> 国家の名に依って行われた侵略行為も、細かく検証していけば
> 「個々人の為政者」の責任になるのではないでしょうか。
> またそのような考えを延長すれば、為政者が真剣に国政に取り組むようになるのではないのかと思うのです。

 「「個々人の為政者」の責任」ということであるならば、天皇が最も最たる責任ある為政者ということになりましょう。かつては。しかし、為政者個人、個々人である国民の責任に収斂させていくべき問題とも思えません。(為政者の責任問題を否定するものではありませんが、「国民総責任論」では、事の本質を見失う恐れ大と思います)

 そのような社会体制がなぜ、どのように生み出されて来るのか。そして如何に平和な社会を築いていくことができるのか。

 過去から学ぶことも多いのではないかと考えます。

 「松井岩根」の名前を挙げることになりましたが参考までに。事件後、日本に戻りラジオにて講演。

時局資料 帰還に方りて同胞に告ぐ(アジア歴史資料センター)
http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/listPhoto?IS_STYLE=default&ID=M2006090409581393339

 「内閣情報部監修 昭和十三年三月 帰還に方りて同胞に告ぐ(附、1陸軍記念日に方
り今次事変に対する国民の覚悟を述ぶ) 時局資料 本稿は松井大将昭和十三年三月二日
東京中央放送局より放送せられたるラジオ講演の要旨である。 凡例 一、本書は時局認
識の為の参考資料として編纂したものである。二、本書の内容は成る可く広く利用せら
るゝことを希望する。三、本書の全文を転載し或は小冊子として刊行し又は一部を引用
する事差支なく、其の場合には掲載せるもの三部を内閣情報部(内閣総理大臣官舎内)
宛送付せられ度。尚特に複製希望の向は、本書の組版を利用する便宜もある。 帰還に方
りて同胞に告ぐ 私は松井であります。昨年八月大命を拝して以来半年、江南の各地」


<朝鮮関係論文>

戦間期日本の為替レート変動と輸出 ──1930 年代前半の為替レート急落の影響を中心に── 畑瀬真理子
http://www.imes.boj.or.jp/japanese/jdps/2002/02-J-16.pdf
長期統計における国際比較: 1934-36 年における日本・台湾・朝鮮の購買力平価と実質消費水準 袁堂軍・深尾京司・馬徳斌
http://www.ier.hit-u.ac.jp/~fukao/japanese/publication/paper/2003/2003-z2.pdf
植民地期朝鮮の南北人口比 ~朝鮮総督府国勢調査資料の分割フォーマット~ 文 浩一
http://21coe.ier.hit-u.ac.jp/research/discussion/2005/pdf/D05-146.pdf
産米増殖計画期の日本と朝鮮 近藤郁子
http://www.ritsumei.ac.jp/~yamai/7KISEI/kondoh.pdf
韓国の看板デザインの歴史的変遷とその社会的文化的背景の分析 (郭 明姫)
https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324/2744/1/K029.pdf

「九州大学学術情報リポジトリ」での検索(語:朝鮮)
https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/simple-search?query=%E6%9C%9D%E9%AE%AE&submit=%E6%A4%9C%E7%B4%A2

 それでは。
  金 国雄 拝