抒情詩 投稿者:金 国雄 投稿日:2006年 2月24日(金)19時48分32秒
この数日、どうやら風邪気味なのか喉が痛くなりました。
昨日は、第1回目の平和展キャプション・パンフ原稿の校正のため出かけました。
毎回行っていても、誤字脱字等があり、なかなか防げないことに落胆をすることも
多いのですが、他のスタッフの皆さんと協同で作業を行いました。
そして帰宅したところ郵便物が届いており、それには先日のある方のハングルの
随筆の日本語訳が載っておりました。今回は翻訳する時間が無く先方に委ね、その
日本語訳に昨日今日と目を通しているところです。
またここのところ眼精疲労気味で、細かい字を長時間読むことが非常に苦手にな
ってきました。時々、目がかすんでしまう事もあります。
今回は、その方より2本の随筆をいただき、短いものは私が翻訳し掲載する他の
先方にすでにお渡しし、少し長めのものが時間がないこともあり、また一般の文体
ではなく抒情詩的なため翻訳にそれなりに能力を要する関係もあり、先方に翻訳を
依頼した次第です。(私は専門的な翻訳をするまでの能力に欠けていることもあり
ます)
(抒情)詩的な文章の内容を味わうには、私のようなものの翻訳では、原文から
かなり意味合い、味わいが失われると考え。参考までに原文(ハングル)を掲載し
ます。詩的に翻訳することにチャレンジするのも楽しいものかもしれません。
*タイトルを含め一部を伏せます
*一部外来語のハングル表記は私が行いました。
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흐르는 세월은 유수와 같다더니..,만물이 소생하는 봄의 시작으로 천지를 청초한
연록색 빛으로, 벗꽃으로 물들이며 타국 생활의 울적하던 나의 마음을 봄의
기운으로 한껏 띄워주던 그 봄도 가고 찌는듯한 찜통속의 여름도 가고 가는
시간 가는 세월 붙잡지 못하니 또 한해를 마감하는 이때 크리스마스 전날 여기
●●에 예년에없는 ●●년만에 큰눈이 내렸다 한겨울에도 비교적 온하한 기후로
꽃들이 피고지는 ●●에서 큰눈은 정말 보기드문것이다 ●● 친구언니한테서도
때아닌 눈세상을 만난 내가 부럽다는 전화까지 왔다
펑펑 내리는 눈은 공원처럼 아기자기 예쁘게 꾸며놓은 집집의 꽃나무들이며 가자리
우에도 크리스마스 분위기를 한껏 띄우는 일류미네이션우에도 소복소복 쌓여 천지를
삽시에 황홀한 설경으로 한폭의 멏진 그림을 만들어 놓았다
●●● 약속이있어 때아니게 쏟아져 내려 발목을 푹푹 덮는 눈길을 걷노라니 불현듯
내고향의 숫눈길이 눈앞에 펼쳐졌다 고향 ! 조용히 불러만 보아도 ,그려만 보아도
, 가슴은 금시에 찌르르, 눈굽은 촉촉이 젖어오고…
나의 천진난만하던 유년시절 소박한 꿈과 미래를 키워오던곳…천만가지 사연을 다
안고 있는 내고향…
고향의 겨울은 때때로 눈발이 날리고 눈도 많이오는 고산지대 겨울 한동안은 산과
들의 눈이 녹기도 전에 또 눈이내려 도로는 빙판길을 만들어놓고 낯이면 집집의
처마밑을 때아닌 여름의 락수물로 또 다음날 아침은 유리알 같이 투명한 여러가지
모양의 얼음고드름과 아침해살 드는 창가엔 간간이 예쁜 성에도 그려놓았다 하지만
고향의 겨울은 내 마음의 겨울은 춥지 않았다
고향이라서… 짧은 생각속에 고향의 소중함과 진귀한 향수를 다 담을수는 없지만…
생각에 잠겨 가던 걸음 멈추고 오가는 사람들을 보느라니 쏟아지는 눈발에 얼굴을
찡그리는가 하면 또 어떤 젊은 남녀들은 멎진 화이트크리스마스에 무척이나 행복안
표정을 짗고 애들은 때아닌 눈세상에 좋아라 눈장난치고… 그중에 눈길을 끄는것은
꼬마 애들이다 나도 동심으로 돌아가 천진한 애들마냥 눈속을 딩굴며 함께 뛰놀고
싶은 심정이다,.. 이순간 만은 아무 생각도 없는 너무나 ,행복한 시간이다 펑펑
눈은 소리없이 내리지만 내리는 눈과 함께 또 한해를 돌이켜 보는 나의 마음을
세차게 두두리며 눈은 내린다 만감이 교차하는 내마음속을 들여다보느라니 나에게도
나름대로 일본생활의 여유가 생긴것 갔다 이제 일본말도 조금은 익숙되고 또다른
일본사회와 문화와 인간관계를 조금씩 알아가며 생소했던 일본생활의 눈내리는 추운
겨울은 지나가고 새싹이 움트는 따스한 봄이 서서히 다가오는 것 같다 ..또 한걸음
성장한 나를 보는것 같다… 세상은 넓어 언어와 문화는 다르지만의 사람 사는 세상
은 같은것 같다…
나라와 민족과 언어와 문화의 차이를 넘어 세계가 하나되는 아름다운 인간세상
아름다운 미래를 그려보며…
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Re: 3.11太田昌国講演会、参加してきます。 投稿者:金 国雄 投稿日:2006年 2月22日(水)18時48分28秒 編集済
社会主義者さん、こんばんは。
本当に社会主義者さんにもお会いできる機会なんですが、この時期、
日程的にも「平和展」の準備があり難しいですね。こかんほさんにも、
他の関係者の方たちとも是非、再開したいのですが。
こかんほさんにも是非、宜しくとお伝えください。
> 貴掲示板、アフガン板、その他いくつかの掲示板に、参加報告を
> アップしようと思っていますので、その時は宜しくお願いします。
ありがとうございます。こちらこそ、お願いいたします。
それでは。
金 国雄 拝
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3.11太田昌国講演会、参加してきます。 投稿者:社会主義者 投稿日:2006年 2月21日(火)23時47分58秒 編集済
金国雄さん、どうも。アフガン板の社会主義者です。
コカンホさんが告知して下さった3月11日・京都・法然院での太田昌国氏の講演会ですが、当日有休が取れましたので、参加してきます。コカンホさんの集会には以前金さんからご招待を受けた事もあったのですが、その時は私の日程がつかず、今回は金さんの方が平和展の準備で参加出来ないとの事。お会いできなくて残念です。
貴掲示板、アフガン板、その他いくつかの掲示板に、参加報告をアップしようと思っていますので、その時は宜しくお願いします。
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Re: 第二次日韓協約締結ロシア機密公電発見 投稿者:金 国雄 投稿日:2006年 2月21日(火)19時52分24秒 編集済
樹々の緑さん、こんばんは。
ここのところの気候は昨年から1ヶ月ほど季節が早まっているような感じを
受けますが、樹々の緑さんはいかがお過ごしでしょうか? いろいろと忙し
いなか投稿をしていただいて恐縮しつつも本当にありがたいと思っています。
>改めて勉強になります(教育は恐ろしい)。
今回の「平和展」の中心テーマが「教育」(必ずしも教育機関でのものを
指しません。社会での広い意味での教育。教化、感化、教宣など)です。植民
地でのその実態を通して帝国本国での教育(民衆に対する)の歴史を捉えてい
くことも平和展の本旨です。(象徴的に言えば「教育勅語」でしょうか)
*植民地朝鮮にも「韓国併合」翌年に下付(賜)します。
「アジア歴史資料センター」(検索:教育勅語)
http://www.jacar.go.jp/index.html
「朝鮮総督ヘ教育ニ関スル勅語ヲ下賜セラル (目録) 6画像」
>その伝統をしっかりと受け継ぎ続けてくれるとよいのですが…。
この点が一人一人(国籍や人種、民族が異なっても)が考えていかなければ
ならない重要なポイントと私はあるときより強く思いいまのような活動を始め
るきっかけとなりました。それはルビコン川を渡るということですか、また見
返りを求めることを限りなく否定する旅たちと思います。
> しかし、二度の世界大戦の苛酷な教訓とその後の世界の民衆の運動を経て、
> 国際社会と国際法は、確実に発展しているのも事実です。それは、どこか
> 空から自然に降ってきた結果などではありません。
その通りと思います。またそのことが非常に大切なことであり私は樹々の緑
さんの姿勢を高く評価し強く共感するところです。
「憲法9条」
本当に世界の多くの人々の血と涙が実体化(結実)した尊いもの。受け継ぎ
次の世代に確固としたものとして引き渡したいと思いますね。日本の皆さん(
在日外国人を含む)、失ってはならない大切なものを持っておられる。
樹々の緑さん、ともに平和な時代を築いていきましょう! それを私は命あ
る限り求め続けて行きたいと思います。
人(個人)は必ずしも多彩な能力があるとは限りません。(時代の制約性)
大切なのは何に向かって手を携えて行くかということだと思います。
それでは。
金 国雄 拝
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Re: 第二次日韓協約締結ロシア機密公電発見 投稿者:樹々の緑 投稿日:2006年 2月21日(火)00時28分50秒 編集済
金国雄さん、こんばんは。大昔の日本史の授業で、学年末近くにぶっ飛ばされつつ端折って詰め込まれた「日韓併合」でしたが、改めて勉強になります(教育は恐ろしい)。
> 昨日に引き続いて。googleにて「伊藤博文復命書」を検索。
> 参議院会議録情報 第134回国会 予算委員会 第3号
屋上屋を重ねるようでしたが、私もサイトにアクセスして読んでみました。
> これは植民地支配に反対した日本共産党の執念でもあります。
久しぶりに、「そうだったなー」と感慨に耽りました。「露国社会党に与ふる書」に始まって、その歴史的伝統を受け継いで創立された日本共産党は、治安維持法による苛酷な弾圧に抗しながら、植民地支配と帝国主義的な侵出に命懸けで反対し続けたのでした。その伝統をしっかりと受け継ぎ続けてくれるとよいのですが…。
> ソウルの街頭でこの演説ができますか、そう間いかけました。
これは「問いかけ」の誤字でしょうが、国会図書館サイトでは、第144国会より以前のデータは画像データから読み取ったものであるため誤字(文字化け)があるだろうと言っていました。ご引用のその他の部分にも、文字化けが散見されますが、解読上意味が通じにくくなると思われる以下の2箇所について、ここで訂正させて下さい(人の引用に口を挟んで申し訳ない)。
> ○政府委員(加藤良三君) 明治四十二年七月六日に閣議決定の韓国併合に関する
> 件、その中で併合の目的について次のような記述がございます。
> 適当ノ時機ニ於テ韓国ノ併合ヲ断行スルコト
> 韓国ヲ併合シ之ヲ帝国版図ノ一部トナスハ半島ニ於ケル我実カラ確立スル為最確
> 実ナル方法タリ帝国力内外ノ形勢ニ照ラシ適当ノ時機ニ於テ断然併合ヲ実行シ半島
> ヲ名実共ニ我統治ノ下ニ置キ且韓国ト諸外国トノ条約関係ヲ消滅セシムルバ帝国百
> 年ノ長計ナリトス
> 以上でございます。
「半島ニ於ケル我実力ヲ」(はんとうにおけるわがじつりょくを)「帝国カ内外ノ形勢ニ照ラシ」(ていこくが、ないがいのけいせいにてらし)でしょうね。
> 伊藤博文が韓国の閣議に乗り込んで、ぐずぐずするやつがいたら、だだをこねるや
> つがいたら殺してしまえとまで大声で言ったと、そういう状況下でこの条約の調印
> を迫ったと、そういうことが非常に具体的に書かれているわけです。
> じゃ、伊藤博文の報告をお願いします。
>
> ○政府委員(加藤良三君) この復命書によりますと、日韓保護条約の交渉経緯と
> いうことについて次のとおりの経緯があったようでございます。
> 一九〇五年の十一月に特派大使に任ぜられた伊藤博文枢密院議長が韓国の皇帝に
> 内謁見を求めまして、日本に外交権を委任する必要につき説明するということがあ
> りました。韓国皇帝は、こういう問題は政府に諮詞したいということを述べたとさ
> れておりますが、その際、伊藤大使から、
> 之ヲ御承諾アルトモ又或ハ御拒ミアルトモ御勝
> 手タリト雄モ著シ御指ミ相成ランカ帝国政府ハ
> 已ニ決心スル所アリ其結果ハ果シテ那辺ニ達ス
> ヘキカ蓋シ貴国ノ地位ハ北条約ヲ締結スルヨリ
> 以上ノ困難ナル境遇ニ坐シ一層不利益ナル結果
> ヲ覚悟セラレサルヘカラスと述べたと、こういうふうにされております。
この部分は核心部分ですので、文字化けを直したいと思いました。
「御拒みあるとも御勝手たりと雖(いえど)も若(も)し御拒み相成らんか」
「蓋し貴国の地位は此(この)条約を締結するより以上の困難なる境遇に坐し」
「この条約をご承諾になるのも拒否されるのもご勝手ですが、もし拒否されましたら帝国政府としては既に決心しているところがあります。その結果は果たしてどのようなところまでいってしまうでしょうか。おそらくは貴国の地位は、この条約を締結した場合以上に困難な境遇におかれることになり、いっそう不利益な結果を覚悟しないわけには行かないでしょうね」というわけです。「月夜の晩だけじゃないよ。夜道には気をつけな」を連想してしまいます。
ロシア機密公電問題の記事を読むまで、不覚にも知りませんでした。本当に驚くべきことです。
> 林権助述「わが七十年を語る」という資料を検索することができませんでした。お
> 手元の配付資料にあることは承知いたしております。
>
> ○吉岡吉典君 私は、そういうのは本当に信用しがたい。これは古本屋にさらに出
> ていた本ですよ。
> この本を読むと、調印者が、閣僚が調印前に逃げ出さないように憲兵に見張りさ
> せた、あるいは自殺者が出ないように見張りした、判こを押すときに国璽がない、
> 判こがないとぐあいが悪いのでこの判こを見張りさせた、そういう状況のもとで調
> 印したと当事者が書いているんですよ。コピーを配ってあります。
> 総理、こういう形で結んだ保護条約、併合条約の前の保護条約は自由な意思、対
> 等な立場で結んだ条約と言えると思いますか。
これが、先日紹介したロシア情報機関の機密公電の内容と符合するところですね。加藤良三氏の「資料を検索することができませんでした」との答弁は、驚くべきことです。
> ○吉岡吉典君 過去のこういうとげを取らないで未来はないんですよ。今答弁を聞
> いていると、それは昔のことだから余りよくわからないとおっしゃるけれども、こ
> ういう日韓、日朝の間でこれだけ問題になっている点を外務大臣初め余り調べてい
> ない。だから、韓国、朝鮮で日本の歴史認識が問題になるわけですよ。やっぱり歴
> 史をきちっと調べて責任ある対応をすべきだと、そう総理思いませんか。
麻生現外務大臣の発言にしてもそうですが、彼ら日本の支配層の意識がどうしてこうなるのかは、単純な「歴史への盲目性」ではなく、地理的・歴史時期的幸運から最後の後発資本主義・帝国主義近代国家として(いわゆる不平等条約問題を抱えながらも)「独立した」絶対主義的天皇制日本資本主義の、独特の危機意識が反映していると感じています。
もちろん、日本の民衆が、支配層と同じ危機意識を共有する必要など、まったくありませんが…。「会社が国際競争に打ち勝つためには、従業員一同、賃金コストの削減に協力しなければならない」という企業経営者の言葉に幻惑され、「賃上げがなくてもやむをえない」と考えさせられている労働者と、似たような状況だと言えるでしょう。
> 私は総理に、まず対等な立場、自由な意思で結んだ条約ではないということを明
> 言する、そういうことをきちっとしなければならない。同時に、帝国主義侵略を正
> 当化する法理と言われた伝統的国際法、旧国際法をよりどころにして、条約がある
> からということを理由に日本の朝鮮、韓国併合を正当化することはしない、こうい
> うことをこの場できちっと言い、歴史を踏まえた本当の日本の植民地支配の反省と
> いうことの真を明らかにしていくという態度をとっていただきたい。
国際法は、西欧社会の国際法として出発・発展してきました。そこにおける当初の「国際社会の法主体」には、アジア・アフリカ・ラテンアメリカ諸国は含まれていなかったのです。「領域の先占による取得」など、その最たるものだったと言えるでしょう。
しかし、二度の世界大戦の苛酷な教訓とその後の世界の民衆の運動を経て、国際社会と国際法は、確実に発展しているのも事実です。それは、どこか空から自然に降ってきた結果などではありません。ですから、ある行為なり事件なりの法的評価を行うに当っても、法の発展の方向性を見通そうとする評価者の姿勢が問われます。
もしも、自らの行為を「植民地支配からのアジアの解放に向けた努力」などという美しい言葉で飾ろうとするならば、植民地支配を否定する国際法理論の構築と、その方向に向けた行為を着実に重ねられなかった自己の法的見通しの不明を恥じるべきです。後から「当時としてはやむを得なかった・当然だった」と言うことは、誰でもできるのです。
例えば、「環境権」が自民党改憲案にも控えめに規定されているようですが、35年前(1945-1910=35)には、「環境権、それって何?」という状況だったのです。誰かが、最初に奇異な目を向けられながら、言い出したのです。ちょっと違うかも知れませんが…。
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Re: 第二次日韓協約締結ロシア機密公電発見 投稿者:金 国雄 投稿日:2006年 2月20日(月)19時00分51秒 編集済
昨日に引き続いて。googleにて「伊藤博文復命書」を検索。
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&q=%E4%BC%8A%E8%97%A4%E5%8D%9A%E6%96%87%E5%BE%A9%E5%91%BD%E6%9B%B8&lr=
そのなか、
参議院会議録情報 第134回国会 予算委員会 第3号
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/134/1380/13410171380003c.html
があり参考になる部分を再度
国会会議録検索システム
http://kokkai.ndl.go.jp/
であたり該当会議録より紹介します。
*検索サイト「google」を私ははじめて使用。当掲示板末にサイトがありながら。
他に参考になる文献として一部を紹介します。
『日本帝国主義の朝鮮侵略史(1868―1905)』
http://www.hanmoto.com/bd/ISBN4-7503-1920-1.html
『朝鮮紀行』
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/19536182
*平凡社東洋文庫『朝鮮奥地紀行(全二巻)』もありますが、ここで
は図書出版社の物を紹介。いま検索したところでは講談社より同じ
翻訳者の『朝鮮紀行 英国婦人の見た李朝末期』が少し安価で出てい
ます。ただし私は講談社の物を読んでいません。
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○吉岡吉典君 私がこのハワイの話を持ち出したのは、実はこれが日本の韓国併合と関係があるからなんです。
それは、当時、韓国の併合直前に、桂首相、小村外相、伊藤統監、彼らが韓国併合について協議した。そのときに伊藤博文が、併合に外国から苦情が出るようなおそれはないか、こう問うたら、小村外務大臣はアメリカのハワイ併合の例を挙げて異議が出るおそれはない、こう言っだということが「明治外交秘話」という昭和二年に出た本ですけれども、ちゃんとそういうやりとりが書かれているんですね。それで、アメリカのハワイ併合を国際的な非難が出る余地がないというよりどころにしながら日本は韓国併合を行った。
そして、今どうか。アメリカはそのハワイの王朝転覆を謝罪する決議を行った。ところが、日本は反対に朝鮮の植民地支配を反省しないといって、きょうの報道によると、韓国国会では日本を非難する決議を行うと、こういう状況になっているわけです。
私はこういう事態になっているということはまことに遺憾なことだと思いますが、そういうハワイヘの謝罪をも含めて、外務大臣、どのようにお考えになりますか。
○国務大臣(河野洋平君) それぞれの国にそれぞれの歴史があって、その一つを例として挙げて我が国の状況に当てはめるということは必ずしも正確な例として適当かどうかという問題はあると思います。ただ、吉岡議員のお話しなさろうとするお気持ちについては全くわからないわけではありません。
○吉岡吉典君 何かわからぬ答弁ですけれども。
そこで、問題になった五日の総理の答弁に関連してでありますが、私があの本会議で行った質問というのは、戦後五十年という節目の年に当たって侵略戦争と植民地支配をきっぱり反省することが必要だという立場から、植民地支配の反省というなら、南北朝鮮初め内外の厳しい批判を受けてきた、一九六五年の日韓条約国会以来、日本政府が繰り返している韓国併合条約は対等な立場、自由な意思で結ばれた条約であるという悪名高い認識、立場をはっきり改めることが必要と考えたからであります。
この答弁は、六五年の日韓条約国会、私は赤旗記者として全部取材して直接耳にしました。それから三十年、私はこの発言を改めさせなければならないと執念を燃やしてきました。三十年前からいろいろな雑誌でそのことを書いてきました。これは植民地支配に反対した日本共産党の執念でもあります。
この発言、この答弁というのは、韓国ではこれは歴史の偽造だ、こう言われている。私は外務省の人にこの問題を三十年問いかけ続けてきた。ソウルの街頭でこの演説ができますか、そう間いかけました。できると言う人は一人もいませんでした。できないはずです。中にはたたき殺される、こう言う外務省の人もおりました。また、外務省の人の中から、これは日本と韓国、朝鮮との間にあるいずれ抜かなくちゃいかぬとげだ、そのとげを総理が植民地支配を反省するというからにはとってもらいたい、そういうつもりで私は質問しました。
ところが、この答弁を改めるということではなく、併合条約は法的に有効だという答弁があったからこういう騒ぎになったわけです。私は後、時間をかけて質問いたしますけれども、総理、歴史の事実を踏まえて、この答弁も結論的にはきっぱりと撤回して、新たな、事実に沿っただれもが納得できる答弁をしてもらいたいと思いますが、冒頭でまず見解をお伺いしておきます。
○国務大臣(村山富市君) 先日衆議院の予算委員会でも同じような質問がございました。
私はそのときに、本会議における私の答弁には舌足らずな点があって、韓国の新聞等を見ますといろんな波紋も広げていることに対しては懸念をいたしておりますということを前提にして申し上げたわけでありますけれども、私が申し上げましたのは、日韓併合条約というのはこれは条約としては存在しておったわけですから、したがって形式的には存在しておったものではないかと思いますと、存在しておったと思いますと。
しかし、政治的、道義的に判断をした実体論から申し上げますと、それはやっぱり当時の力関係の背景というものを考えた場合に、決して平等に結ばれたものではないというふうに私は思いますし、植民地支配があったという現実はこれは否定し得ない事実でありますから、その植民地支配の現実というものを直視して、そして厳しい反省をした上でおわびするところはおわびをすべきだというふうに申し上げた次第であります。
○吉岡吉典君 今の舌足らずというような性質のものではないんですが、それはさておきまして、明治政府が朝鮮を保護国にし、植民地にしていたその目的は何だったと思いますか。外務省、これは例えば明治四十二年七月六日の閣議等でもきちっと書いておりますが、どういうふうに言っているか、まず紹介していただきたい。
○政府委員(加藤良三君) 明治四十二年七月六日に閣議決定の韓国併合に関する件、その中で併合の目的について次のような記述がございます。
適当ノ時機ニ於テ韓国ノ併合ヲ断行スルコト
韓国ヲ併合シ之ヲ帝国版図ノ一部トナスハ半島ニ於ケル我実カラ確立スル為最確実ナル方法タリ帝国力内外ノ形勢ニ照ラシ適当ノ時機ニ於テ断然併合ヲ実行シ半島ヲ名実共ニ我統治ノ下ニ置キ且韓国ト諸外国トノ条約関係ヲ消滅セシムルバ帝国百年ノ長計ナリトス
以上でございます。
○吉岡吉典君 お聞きになったように、韓国を帝国の版図の一部にすることが百年の長計であった、こう書いてあるわけです。こういう計画に沿って早くから明治政府は韓国への政治的、経済的、軍事的な進出の方針を決定していた。
明治三十七年五月三十一日の閣議決定にもそれが極めてはっきり書かれております。時間がないから、項目だけで結構ですから報告してください。
○政府委員(加藤良三君) ただいまの明治三十七年五月三十一日に閣議決定いたしました対韓方針
に関する決定の前段部分ではなくて、対韓施設綱領決定の件の項目という理解のもとに申し上げます。
その項目は以下のとおりでございます。「一、防備ヲ全フスルコト」、「二、外政ヲ監督スルコト」、「三、財政ヲ監督スルコト」、「四、交通機関ヲ掌握スルコト」、「五、通信機関ヲ掌握スルコト」、「六、拓殖ヲ図ルコト」、以上でございます。
○吉岡吉典君 こういうふうに併合より六年前に韓国を軍事、政治、産業経済の全分野にわたって完全な日本の支配下に置こうとする方針、計画を決定していたわけです。
外務大臣、そう思いませんか、今の報告で。
○国務大臣(河野洋平君) 当時の閣議の文献その他を参照すればそのとおりだと思います。
○吉岡吉典君 もう一つ、明治三十八年四月八日にも韓国保護権確立の件というのがありますが、これはもう完全に韓国併合を進める具体的なプランです。これも紹介してください。
○政府委員(加藤良三君) 申しわけございませんが、ただいま御質問いただいた資料に該当する資料をちょっと手元に持ち合わせておりません。
○吉岡吉典君 それでは、それはそれとして、問題は「帝国百年ノ長計」に沿ってのこういう条約がどういう方法で調印されたかということが問題であります。この「帝国百年ノ長計」に基づく日本の保護条約、併合条約へと進むそのやり方は、公文書を初め関係者の一連の文書ではっきりさせられております。
その一つ、西四辻公堯という人の書いた「韓末外交秘話」、そういうものについてどんなことが書いてあるか、ちょっと報告してもらいたい。
○政府委員(加藤良三君) 私ども、その西四辻公堯著「韓末外交秘話」というものを外務省の図書館あるいは国会図書館にてその検索に努めましたけれども、私たちとして、時間的制約もありましたので、原資料を見つけることはできませんでした。私たちが見出し得たものの中に、明治三十八年、伊藤博文復命書というものはございますけれども、その内容であればお答えできると存じます。
○吉岡吉典君 それでは、それを報告してもらう前に、西四辻公堯という人は、子爵、陸軍少将、貴族院議員をやった人で、以下述べるのは余が責任を持って述べることだということで書いている、コピーを配っていますけれども。伊藤博文が韓国の閣議に乗り込んで、ぐずぐずするやつがいたら、だだをこねるやつがいたら殺してしまえとまで大声で言ったと、そういう状況下でこの条約の調印を迫ったと、そういうことが非常に具体的に書かれているわけです。
じゃ、伊藤博文の報告をお願いします。
○政府委員(加藤良三君) この復命書によりますと、日韓保護条約の交渉経緯ということについて次のとおりの経緯があったようでございます。
一九〇五年の十一月に特派大使に任ぜられた伊藤博文枢密院議長が韓国の皇帝に内謁見を求めまして、日本に外交権を委任する必要につき説明するということがありました。韓国皇帝は、こういう問題は政府に諮詞したいということを述べたとされておりますが、その際、伊藤大使から、
之ヲ御承諾アルトモ又或ハ御拒ミアルトモ御勝
手タリト雄モ著シ御指ミ相成ランカ帝国政府ハ
已ニ決心スル所アリ其結果ハ果シテ那辺ニ達ス
ヘキカ蓋シ貴国ノ地位ハ北条約ヲ締結スルヨリ
以上ノ困難ナル境遇ニ坐シ一層不利益ナル結果
ヲ覚悟セラレサルヘカラスと述べたと、こういうふうにされております。
○吉岡吉典君 外務大臣、こういうやり方というのはこれは普通の外交のあり方ですか。
○国務大臣(河野洋平君) 現場を見ているわけではありませんから、私がそれを直ちに云々というわけにはまいりません。何せ非常に古い文献でございますから、その文献の信慂性というものもまた確認しなければならないと思います。
○吉岡吉典君 これは大変な答弁ですよ。日本外務省の編さんの外交文書の中に、天皇の命令によって韓国へ派遣されたその報告書ですよ。その信懸性だとすると、天皇に伊藤博文はうそをついたんですか。そういうことを言うんですか。
○国務大臣(河野洋平君) 私が申し上げておりますのは、その文書自身を私が見ておりませんので、ここで確認をして申し上げることができないということを申し上げているわけでございます。
○吉岡吉典君 もう一つ言います。
この保護条約の調印者、林権助の「わが七十年を語る」というのがありますが、これは外務省、あるはずですけれども、どんなことを書いていますか。
○政府委員(加藤良三君) 恐縮でございますが、昨日御質問の予告をいただいて私たちが調べた中に、林権助述「わが七十年を語る」という資料を検索することができませんでした。お手元の配付資料にあることは承知いたしております。
○吉岡吉典君 私は、そういうのは本当に信用しがたい。これは古本屋にさらに出ていた本ですよ。
この本を読むと、調印者が、閣僚が調印前に逃げ出さないように憲兵に見張りさせた、あるいは自殺者が出ないように見張りした、判こを押すときに国璽がない、判こがないとぐあいが悪いのでこの判こを見張りさせた、そういう状況のもとで調印したと当事者が書いているんですよ。コピーを配ってあります。
総理、こういう形で結んだ保護条約、併合条約の前の保護条約は自由な意思、対等な立場で結んだ条約と言えると思いますか。
○国務大臣(村山富市君) 私は先ほどから答弁しておりますように、いろんな史実を記録したものはあると思いますが、今、委員が言われたことについてはこれは私も今初めて聞く話で全然見ておりませんから何とも言えませんけれども、しかし当時の状況から判断してみて、対等平等の立場で締結されたものではないというふうに私は考えております。
そのことの是非はともかくとして、植民地支配をしてきた現実というものはこれはもう否定し得ない事実ですから、したがってそのことは率直に認めて、そして厳しい反省もしながらおわびするところはおわびをして、そして私は、戦後これまで築いてきた日韓の関係というものに水を差すような気持ちもないし、むしろ未来に向かってお互いに協力し合える友好関係というものは大事にしていかなければならぬというふうに考えております。
○吉岡吉典君 過去のこういうとげを取らないで未来はないんですよ。今答弁を聞いていると、それは昔のことだから余りよくわからないとおっしゃるけれども、こういう日韓、日朝の間でこれだけ問題になっている点を外務大臣初め余り調べていない。だから、韓国、朝鮮で日本の歴史認識が問題になるわけですよ。やっぱり歴史をきちっと調べて責任ある対応をすべきだと、そう総理思いませんか。
○国務大臣(村山富市君) これは、私は五十年の節目に当たって八月十五日の総理談話でも明確に申し上げております。やっぱり過去の一時期に国策を誤って、そして日本の国民を塗炭の苦しみに遭わせると同時に、アジアの諸国の皆さん等々に耐えがたい苦痛と被害を与えたということについて厳しい反省をして、そして率直におわびもして、そしてこれからはひとつそういう立場に立って未来に向かって平和を築いていき、友好関係をつくっていくために努力しなきゃならぬということを申し上げておるのであります。
私は、そういう過去の歴史というものを率直にやっぱり認め合うし、共通した理解と認識をしっかりお互いに持ち合うことは極めて大事なことだというふうに思っております。したがって、歴史書について共同で研究するようなものもつくっていこう、こういう提起もしているところでございます。
○吉岡吉典君 今のような形で結んだ保護条約で韓国の実権は日本が全部奪った。この韓国の実態、併合条約直前、保護条約下の韓国の実態は独立主権国家と言えたかどうか、外務大臣。
○政府委員(加藤良三君) 若干時系列で申し上げますと、明治三十八年、すなわち一九〇五年に第二次日韓協約というのが締結されまして、この条約によりまして日本は韓国の外交に関する事項を監理することとなったことは御承知のとおりでございます。
それから、第三次日韓協約、明治四十年でございますから一九〇七年に署名されたわけでございますが、これは韓国の外政に加えて内政にも多大の影響力を行使することを内容としております。具体的な項目が幾つかございまして、例えば韓国施政の改善に関する統監の指導の権利等々が定められているわけでございます。それにあわせて若干の司法に関する覚書も交換されております。
しかし、韓国の併合条約、すなわち一切の統治権を韓国皇帝が日本皇帝に譲与する条約、これは一九一〇年に成立しているわけでございます。
○吉岡吉典君 日本が外交権も握ってしまった、韓国は日本の了解なしには条約も結べない、そういう国になった。これはもう独立主権国家とは言えません。その韓国と日本は軍隊を動員した状況のもとで併合条約を結んだわけです。
ですから、併合条約というのは、日本の保護下にあった韓国、独立主権国家と言えない韓国とその保護国である日本との間での条約がそもそも普通の条約と言えるかどうか、こういう問題がまずあるわけです。しかも、その条約を軍隊を動員した戒厳下で結んだ等々から見て、これはどこからどう見ても自由ないし対等な立場で結んだ条約であるとを言えない。
私は総理に、まず対等な立場、自由な意思で結んだ条約ではないということを明言する、そういうことをきちっとしなければならない。同時に、帝国主義侵略を正当化する法理と言われた伝統的国際法、旧国際法をよりどころにして、条約があるからということを理由に日本の朝鮮、韓国併合を正当化することはしない、こういうことをこの場できちっと言い、歴史を踏まえた本当の日本の植民地支配の反省ということの真を明らかにしていくという態度をとっていただきたい。最後に一括して総理の答弁を求めます。
○国務大臣(河野洋平君) 先ほど来から総理が御答弁を申し上げておりますように、当時の状況にかんがみれば、対等平等な体制でこれが行われたということはないであろうということは、十三日以来総理が御答弁を申し上げているとおりでございます。そうした状況にかんがみれば、総理の御答弁のとおり我々も考えているところでございます。
○国務大臣(村山富市君) これは同じ答弁になりますけれども、八月十五日に私が出しました総理談話というのを率直に認めてもらいたいと思うんです。先ほど来答弁を申し上げておりますように、当時の状況から考えてみて、そして対等平等の立場で結ばれた条約とは私は考えておりませんと、現実に植民地支配というものは存在しておったわけですから。したがって、そういうものについて我々は厳しい反省の上に立って、そして謝るべきものは謝って、そして未来に向かってお互いにしっかり友好協力関係を築いていく、これが当面課せられた我々の役割ではないかというふうに考えております。
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Re: 第二次日韓協約締結ロシア機密公電発見 投稿者:金 国雄 投稿日:2006年 2月19日(日)20時41分48秒 編集済
樹々の緑さん、こんばんは。いつも大変ためになる、私にとって有意義な
投稿で私は、ずい分勉強をさせていただいております。
今回も有意義な情報と思います。
> 《記事紹介》
> 見出し:1905年の日韓協約 銃剣で強制、なつ印も代行 ロシアで新資料」
(以下略)
以前より日本による「韓国併合」合法論があります。最近、日本の保守派
サイドからあらたに「高宗皇帝の「協商指示、裁可」」説が出ているようで
す(私は某掲示板で日本の保守派が書き込み持ち出してきたことを知ってい
ます)。その論拠として「伊藤博文復命書」というものを取り上げているよ
うですが、この文書の「素案」とその修正文書とをめぐる論争が、いまこの
問題の中心点になっているようです。
在日朝鮮人史100年記念シンポジウム 東京で、「乙巳5条約」は無効
強制連行は違法 日本に被害回復の義務
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/%82%8A-2005/01/0501j1117-00001.htm
また以前紹介した「アジア歴史資料センター」の「対韓方針」も「日韓議
定書」締結時と同様、参考になるものと思いますが今回、樹々の緑さんより
紹介していただいた記事も、そのような論争での判断材料として貴重な補完
資料(記事によれば)と考えます。
> ではまた。平和展のご成功を祈ります。
ありがとうございます。(本当に一度、お会いしたいものです)
金 国雄 拝
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第二次日韓協約締結ロシア機密公電発見 投稿者:樹々の緑 投稿日:2006年 2月19日(日)18時41分17秒 編集済
金国雄さん、こんにちは。
このところ忙しくしていて、お伝えしたいことは山ほどあったのですが、できませんでした。
その中の一つで、2月17日(金)付の新聞「赤旗」B版第4面右下に、「モスクワ発時事電」とのクレジットの下で、大要次のような趣旨の記事があることをご存知でしたでしょうか。忙しさにかまけて、「後で時事ドットコムから検索すればいいや」と思っていたら、時事ドットコムは当日の配信記事(しかも数記事)しか無料では検索できないらしく、また、「赤旗」の記事検索でも出てきません。著作権の問題がどうなのか、はっきりしませんので、全文引用は控え、要旨を私の責任で纏めたものをここに書き出します。先ほど、(あの中国の検閲を受け容れた悪名高い)グーグルで「第二次日韓協約」で検索したところ、この件について以前からかなり議論がされているようで、私は朝鮮植民地支配史を系統的に勉強したことがないため、情報の価値は判断できません(推測はできます)。
《記事紹介》
見出し:1905年の日韓協約 銃剣で強制、なつ印も代行 ロシアで新資料」
本文要旨:
日露戦争後、日本が韓国の外交権を奪い、朝鮮半島併合に繋がった1905年11月17日の日韓協約の締結をめぐる状況について、ソウルからの情報を基に上海の情報拠点からロシア外務省に宛てて送られた1905年11月24日付ロシア情報機関の機密公電が、「日本が銃剣の圧力により強制し、韓国外相のなつ印を日本側が代行した」と報告していたことが、ロシアの歴史学者であるドミトリー・パブロフ無線・電子工科大学教授の調査により、モスクワの帝国外交資料館所蔵資料から発見された。
その機密公電によると、11月14日から日本軍の多くの歩兵部隊、騎兵隊、砲兵隊が邦人保護を口実に昼夜ソウルの路上にあふれて宮殿を包囲し、伊藤博文特使は将軍や部隊を引き連れて宮殿に乗り込み、17日当日の締結時も、韓国閣僚が協約への署名に抵抗したため、朴斉純外相の自宅に憲兵隊を送り条約文に署名を強要したが、同外相が拒むので日本側が自らなつ印し、伊藤特使が「これで保護領協定が締結されたと見なす」と宣言した。高宗皇帝は「条約を認めるなら死んだ方がましだ」として拒んだが、日本の憲兵隊は宮殿内にもあふれ、抵抗できない状況に追い込まれた、ということです。
最後に、おそらく「赤旗」の記者コメントで、「協約締結が日本の強制だった経緯は韓国側文書で知られていますが、ロシア情報機関の記録はそれを裏付ける内容となっています」と締めくくられていました。
金さんにとっては、あまり価値のない情報だったかも知れませんが、当方、植民地支配史に疎いため、ご容赦下さい。
ではまた。平和展のご成功を祈ります。
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尹 隆道&鄭 在俊 投稿者:金 国雄 投稿日:2006年 2月18日(土)11時46分9秒
> >この後、保安課長役の足立正生さんは赤軍へ、尹隆道さんは在日韓国青年運動
> >へと、それぞれの道を歩まれたようです。
>
> 追々、調べてみたいと思います。
検索で少しばかり調べてみました。
ヤフー検索:尹隆道
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%D5%FA%CE%B4%C6%BB&fr=top&src=top&search.x=26&search.y=10
青年会のあゆみ
http://www.seinenkai.org/intro/ayumi.htm
最近出版されたものですが、近々私も入手を考えています。
金大中救出運動小史
http://www.hanmoto.com/bd/ISBN4-87798-279-5.html
まだまだ対立し継続する「在日」の現代史と思います。
ヤフー検索:足立正生
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E8%B6%B3%E7%AB%8B%E6%AD%A3%E7%94%9F&ei=UTF-8&fr=top&x=wrt&meta=vc%3D
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誇るもの 投稿者:金 国雄 投稿日:2006年 2月17日(金)18時59分46秒
韓国政府も重い腰を上げるようになってきたようです。
今年の安保政策目標、「朝鮮半島和平の制度化」に
http://japanese.yna.co.kr/service/article_view.asp?News_id=012006021712900
なか、
「北朝鮮の人道主義的懸案の積極的打開」
このことは同時に韓国、世界での人権発展に結びつく大切なこと。
ついでに「国家保安法」も廃止すれば、韓国の民主化(民主主義)も
さらに前進。東北アジアをふくむアジアでの良い手本。それこそ韓国
(民)が胸を張って世界に誇ることができるものとなる。