2008年2月11日月曜日

掲示板「梁山泊」過去ログデータ 57

Re: 「科学的に考える」ということ 投稿者:金 国雄 投稿日:2006年 3月28日(火)18時45分38秒   編集済
樹々の緑さん、こんばんは。

 まだ帰ってきたばかりでしっかりと何本かの新しい書き込みを拝読できませんのでこ
の投稿文より返事を書きます。

 私が樹々の緑さんとの議論でふっと感じたのは、樹々の緑さんは法学を学んできた人
で、そのような発想をされるのかと思うことがあります。

 私は「平和展」などを通して朝鮮(近代)史を勉強するようになりました。まだまだ
知らないことが一杯ありますが、あまりにも自らが朝鮮の歴史に疎いと思ったことが一
つのきっかけでした。

 樹々の緑さんの投稿文では「正しいかどうか」、「記述してはいけない」という風に
結論づけられている場合が目に付きます。

 今の日本の歴史学の流れはどうかは分かりませんが、用語に関してどのように変えて
いくか、またどう変わっていくのかというような変化に私は重点を置いているように自
身思います。(それゆえ樹々の緑さんの文章の用語に手を触れた)

>  以上は、「日韓併合は×で、韓国併合は○にする」という前提での議論です。

 そのため、↑の前提とお断りしているテストですか、このような発想が出にくいので
す。しいて言えばこの場合は掟破りになりますが「韓国強占」と書けば日本の学校では
○をもらうことはできないと推測します。

>「日韓」は×、「韓国」は○という指導をすることは、冒頭に述べた「日本の植民
>地支配を正当化するイデオロギー攻勢とたたかう際の、基本的態度」としても、ま
>ったくふさわしくないと、感じています。

 と適切に述べられている。

 以前私が書いたと思いますが、

Re: 訂正了解です 投稿者:金 国雄 投稿日: 3月25日(土)20時52分23秒

>また用語もそのため、時代と共に変わっていきます。「韓国併合」、
>これも現時点での用語です。より史実を反映する用語に変わってい
>くべきであり、その可能性が高い用語と私は思います。

 「韓国強占」との用語になるか、またどのような他の適切な用語に変わるか今のとこ
ろ私にははっきりとわかりませんが、それを受け入れる日本社会の素地がいまだ整って
いないのも現状ではないかと考えますが、それは引き続き今後の課題となるのですが、
いわば闘いです。

 一点、私の投稿の中で「併合」に関して訂正するところがありますが、少しばかり一
服させていただき、「taro'sトーク」にも少し触れて見たいと思います。

 少しばかり休憩を。

 それでは。
  金 国雄 拝


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「科学的に考える」ということ 投稿者:樹々の緑 投稿日:2006年 3月28日(火)17時27分8秒
 金国雄さん、こんばんは。

 昨夜は、早めに帰宅して真っ先に「寝てしまい」、夜中に起き出すという変則的な生活になりました。きょうは、仕事ではなく健診なので早く帰れたのですが、おかげでデータは悪かったです(下が高い本態性高血圧)。

 金さんと議論をさせていただいて、私の無知にも気づかされましたが、同時に、「日本の植民地支配を正当化するイデオロギー攻勢とたたかう際の、基本的態度」ということも、深く考えさせられました。

 明日は早いので、簡単に感想を述べます。

 先にリンクを指示して下さった「taro'sトーク(「コメント」ではありませんでした)」の主が、例えば日本の高校生だったとしましょう。私たちがその歴史教師だったとした場合に、「日本と韓国が合弁したのだという勝手なイメージが強かった」ために「『韓国併合』を『日韓併合』とよく言いまちがえた」彼に対して、どのような指導をすべきでしょうか。そういった観点から、問題を考えます。

 便宜上、ここでは、「韓国併合」が正しく、「日韓併合」とテストで答えるとバツを喰らうと仮定しましょう。

 性懲りもなく、またテストで「日韓併合」と答えて×にしたときに、彼に対してどのようにいうべきだと考えますか。実はここにこそ、今回の問題の本質が集中して現れると考えています。

 「お前、何度言ったら覚えるんだ。『日韓併合』じゃ、何だか日本と韓国が合弁したみたいだから、おかしいと言っただろ。『韓国併合』と書かなければ、日本が韓国を一方的に併合したという意味にならないだろ。よく覚えておけよ。そんなことじゃ入試にも受からないぞ!」

 たぶん、これが金さんの指導になるのではありませんか?

 この彼が、仮に大学の法学部に進学して、国際法の講義を受けたら、ビックリするに違いありません。なぜなら、「併合」とは「合意による領域の取得」という意味であり、もともと「一方的に併合」という事態はありえない(形容矛盾だ)からです。あるべき理解は、「合意」による、「一方の支配下への他方領域の編入」(この「編入」には主体-客体の関係があります)、ということです。
 じゃなぜ、「一方的」という「勝手なイメージ」を持ってしまったのか、それは、「『日韓併合』じゃ、何だか日本と韓国が合弁したみたいだから、おかしい。『韓国併合』と書かなければ、日本が韓国を一方的に併合したという意味にならない」と教わったからです。

 基礎概念を間違って教えられた彼は、それを維持している限り、決して「科学的な」学問を究明することはできないでしょう。
 ですから、もしも「一方的に併合」という言葉で本当に伝えたい意味内容を大切にするなら、「強制的に『併合』という『合意』の形をとらされて=真実の合意がないのに=領域を奪われた」とでも、指導すべきなのです。

 ポイントが、「日韓」か「韓国」かにではなく、「併合」の意義にこそあることが、ハッキリとお解りになるのではないでしょうか?

 そして、教師として教えるべき「史実」「真実」は、「『日韓併合』と『韓国併合』との2つの語句のどちらがより正しいか」ではなく、「『日韓併合』と言われている歴史的事件は、本当に『併合』と呼べる実体を持っていたのか」ということではないでしょうか。
 そのことは、taro君も自らのトークの中で、

> 韓国併合は多分に形式的なもので、実際には韓国の独立はもっとずっと以
> 前に日本人によって踏みにじられていた

と述べています。それをしっかりと「具体的事実に即して」教えること、これが教師としての仕事ではありませんか?

 ここには、社会科学の基礎概念としての「併合」を引用しました。

 しかし、一般用語としての「併合」についての指導を考えても、「『一方が他方を一つにして従えること』が、『併合』という言葉の本来の意味だよ、だから、君が懐いていた『合弁』というようなイメージは、本当に『勝手なイメージ』、単なる思い込みにすぎないことを、よく理解しておくべきだね」という指導になるのではありませんか? その際にも、「具体的事実に即して」教えることが欠かせないのは、まったく同じだと思います。


 以上は、「日韓併合は×で、韓国併合は○にする」という前提での議論です。

 しかし私は、さらに進んで、「日韓併合は×で、韓国併合は○」という機械的な処理自体が、「科学的に物事を考える力」の成長を妨げると思います。
 もしもこれを過度に強調すれば、生徒は、「○が取れる言葉は何か」に意識を集中し、「なぜそれは×で、なぜこれは○なのか」に最大の関心を向けないでしょう。

 大事なことは、1910年の「合意」による、日本への朝鮮の領域の全面的編入と主権の喪失(すなわち、植民地化)が、当時すでに韓国全土を占領状態に置いていた日本帝国主義の支配意思を、韓国との「条約」(=合意規範の設定)の形で押し付けただけだった、ということではありませんか?
 だからこそ、韓国政府は、「『併合』ではなく『強占』と呼ぶべきだ」と主張しているのではありませんか?

 つまり、どこまで行っても、問題は「日韓」か「韓国」かではなく、「併合」が問題なのだということではないでしょうか。
 それなのに「日韓併合」よりも「韓国併合」の方がより史実に即しているという評価の下、「併合」という日本語の本来の意味さえ無視して、「日韓」は×、「韓国」は○という指導をすることは、冒頭に述べた「日本の植民地支配を正当化するイデオロギー攻勢とたたかう際の、基本的態度」としても、まったくふさわしくないと、感じています。


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「言葉」の難しさ 投稿者:まこと@暫くROM専 投稿日:2006年 3月28日(火)08時34分12秒   編集済
金さんと樹々の緑さんのご両人の議論に触発されて、私も手元にある本をいくつかチェックしてみたのですが、日本による朝鮮植民地支配を否定的に評価している「左派」「リベラル」歴史研究者の間でも、こと「日韓併合」「韓国併合」のいずれの用語を用いるかに関しては人によってまちまちのようです。

なお、日本の右派論壇で活躍中で、かつ植民地支配にも肯定的な評価を下している呉善花氏(韓国人)は著書の中で「韓国併合」という用語を使っていますね。というか、この人は「韓国併合への道」(文春新書)というタイトルの本を出していますしね。

ご両人の議論は飽くまでROM専に徹しますが、ご両人の議論から勉強させて頂きたく思っています。

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(余談)

先日、様々なネット掲示板に登場しまくっている某「先生」が推薦していた本を買いました。

【カーター・J・エッカート著/小谷まさ代訳「日本帝国の申し子」(草思社)】
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4794212755/249-9315495-1533145

まだ流し読みの段階なので書評らしきことは書けませんが、植民地支配下における京城紡織(京紡)の成長の過程を辿ることで「植民地下の近代化」を検証することを目的にした歴史研究書のようですね。

ただ、流し読みした限りにおいては、日本による朝鮮植民地支配を正当化する論者がなぜこの本を大々的に他人に推薦するのか、その意図が私には今ひとつ理解できません。この本は日本の植民地政策を称揚する本では決して無いように思います。

まあ、今は仕事等で忙しいですし、他に読み進めている本もあるので、いずれ近いうちに一息付いたら熟読しますが。


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Re:Re: 「併合」「強占」についてちょっと補足します 投稿者:樹々の緑 投稿日:2006年 3月28日(火)02時30分27秒   編集済
 先ほど、金さんが貼られたリンクから「ウィキペディア」の「朝鮮」の項目を参照しました。私が参照したのは、これではなく、当該項目の中で「朝鮮王朝」の語に貼られているリンク「李氏朝鮮」です(「朝鮮王朝」という語をクリックすると出てくるのが「李氏朝鮮」です)。

 そこに、
> 大韓民国においては、『李氏朝鮮』『李朝』と言う名称は植民地史観に基づくもの
> とされ使用されず、単に『朝鮮』『朝鮮王朝』と呼ぶのが一般的である。古代に存
> 在した朝鮮の国号を持つ国は古朝鮮と呼び区別している。中国では李朝の用例が見
> られる。
>  1897年には国号を大韓帝国と改称した。その略称は韓国である
とありました。

 その中で、さらにリンクの色になっている「植民地史観」をクリックしても、「編集中」の表示が出て何も説明がありません。そこで、金さんに「植民地史観に基づくものという意味は何か」とお尋ねしたのです。それ以上でもそれ以下でもありません。

 「朝鮮」の方は、今回初めて参照しました。「李氏朝鮮」で検索した場合の方が、その言葉自体の沿革が解ると思っていたのですが、逆でしたね。つまり、「漢字文化圏においては王朝名を王族の姓によって呼ぶことはない」ために、その慣例に従って日本の朝鮮史研究者の主流が「朝鮮朝」との表記を旧「李氏朝鮮」にあてがい、それ以前の時期を「朝鮮」と表記するのが適切であるとしたことから、「最近の研究成果に従って」旧文部省も2000年から「李氏朝鮮」の表記を避けるよう検定意見をつけ始めたということですね。

 非常によく分りました。日本では「足利幕府(室町幕府)」だとか「徳川時代(江戸時代)」だとかの人名を時代区分の表記に使うことが違和感なく行われていると思われるので、世界史における「プトレマイオス(=人名)朝エジプト」とまったく同じ感覚で、この問題を考えていました。
 そして、金さんが言いたいことは、「漢字文化圏においては王朝名を王族の姓によって呼ぶことはない」のにもかかわらず、「李氏朝鮮」という表記になったのは、植民地支配によって名実ともに国の独立を奪ったからだ、ということですね。あのリンク(最初のリンク)では、失礼ながら、とてもそのようには読めません。
 とりあえずこれで、この呼称問題に関する私の「混乱」は金さんの指摘で多分氷解したと思います。ありがとうございました。

 ただ、これは今後「朝鮮民族」という項目などをウィキペディアで参照して勉強してからもう一度考えますが、金さんが示した「朝鮮」という項目の冒頭にあるように、

> 朝鮮(ちょうせん、チョソン)は、朝鮮半島および済州島など周囲の島嶼・海域を
> 併せた地域を表す呼称。

であることは、問題ないのでしょうか。つまり、

> なぜ「朝鮮」という国名が日本の統治下(植民地時代)、地域名にされ、
> 「朝鮮」(一時期「大韓帝国」)が「李氏朝鮮」と呼ばれるようになったのかと。

という金さんの記述からは、そもそも地域名として「朝鮮」という呼称を用いることも、植民地支配の結果であるように受け取れるのですが、そうお考えなのですか?
 非常に曖昧なのに、使うと指摘されるようでは困りますので、あえてお尋ねします。それは、ウィキペディアは、執筆者が不明なので、「科学的社会主義者」を自認されていて依って立つ立場がよく分っている金さんの説明を聞きたかったからです。

 というのも、実は私が、前の投稿で「古朝鮮」と「朝鮮」とを分ける理由が「版図」によるものなのかと尋ねたのは、この点に問題意識がありました。
 つまり、私の認識の中では、「朝鮮」というのは一定の地域のことであり、そこに過去いくつもの統治権力(王朝)が出現した、だから、「朝鮮」の何王朝なのかを区別する言葉が必要だ、と考えていたのです。ところが、(これは今後の勉強を待たねばなりませんが…)、「朝鮮朝」だけは、「高句麗」「高麗」「百済」などの呼称がないので、「朝鮮朝朝鮮」という重複を避けるため、「李朝」という言葉が用いられているのではないかと考えていました。中国で、民族が違うにもかかわらず、似た版図を持つ王朝を「明」「清」と呼び習わしているのとまったく同じ感覚です。それで、こういう質問をするのです。

> 私は当掲示板で、この用語方(法)の話題のみ取り上げませんので

という記述からは、「そんなことは自分で調べろ」といわれている感じもしますが、次のこととも関連するので、あえてお尋ねします。

 それは、私が参照したウィキペディアの説明にあるように、「植民地史観に基づくものとされ使用されず」ということの意味は、依然として不明なままだということです。日本の朝鮮研究者の主流が「李氏朝鮮」の呼称を変更した理由が、「植民地史観に基づくから」ではないだろうことは、金さんご指摘の項目の説明で分るからです。
 私は、上記ウィキペディアの説明に接して、それを金さんの解説で伺いたいと思っていたのです。

 そして、ここで「大韓民国では」「史観」が問題にされている以上、『未来をひらく歴史』において、問題の歴史時期である「朝鮮前史」部分の記述をどのような視点から記述しているかを、見る必要がある、と私が考えたのは、金さんも理解できると思います。
 そこで私は、何度か指摘しているような、驚くべき記述に接したのです。ここに示されている「歴史観」の基本的なおかしさは、「何度も協議を重ね」た結果、高校生世代を含めた読者を想定して記述されたものとしては、とても考えられないことです。
 そこで、「李氏朝鮮表記を使用しない」と断じる「植民地史観」ということが、もしもこのような「歴史観」に関係するものであれば、これは事実をゆがめるものだと考えたのです。金さんは、そのような私の思考の流れを、よくお分りになってはいなかったのではないでしょうか。

 というのは、その点についてコメントがないからです。そもそも、「植民地史観」というような「歴史の見方」があるかどうか自体、私には耳慣れないことです。つまり、日本の朝鮮に対する歴史上のものの見方・考え方以外に、「植民地」宗主国(政府や国民)から一般に植民地に対して成立する「歴史観」なるものがあるのか、よく分らない。だから、歴史を研究されている金さんに尋ねたのでした。

 あくまで「史実に即している(漢字を改めます)かどうか」であるという意見、了解しました。それは私も同じ意見です。

 「日韓併合」については、ここでは簡単に触れるに止めますが、金さんがリンクを貼られていたサイトの最初の記述を読みました。「taro'sコメント」というものです。

 率直に言って、驚きました。この人物は若い方ではないかと思われますが、「併合」という語の意味について、「合併」という意味で説明するような教育がなされているのでしょうか。それは、率直に言って、教育の側の問題です。そして、これは「韓国併合」と言い換えても、同じことになるのではないかと思います。「日本と韓国の併合」という意味になるだけだからです。「併合」と「合併」が同じ意味だと考えるところに、問題があると思います。「韓国併合」といえば、「一方的併呑」になり、「日韓併合」といえば「対等合併」になるというのは、「併合」という語の意義の偽造です。「併合」という語が「合併」に近い意義で使われるとした場合、それは、「審判の分離併合」という場合のように、まったくカテゴリーの異なる「主体」(ここでは裁判所)が別に存在する場合です。しかし、主権国家が並立する国際社会では、「日韓」の上に立ち、「国家」とは別のカテゴリーに属する「主体」は存在しえないのです。
 ちなみに、私の受験時代には、このような誤解はなかったように思います。なぜなら、より「国家主義的」見地から考えても、「日本が劣った朝鮮を自分の中に入れてやった」というような意識だったからです。とても「対等合併」などという認識が出てくる余地はありませんでした。民主的な意識において、それが「日本帝国主義による朝鮮国家領域の植民地化である」と理解していたことは、言うまでもありません。
 金さんの理解では、「日韓併合」という「より史実に即さない」用語が、「韓国併合」という「より史実に即した」用語へと「発展」してきたということではないかと思いますが、30年以上前の「日韓併合」という用語が広く使われていた時期の方が、「併合」という言葉の意味は、より「史実に即して」理解されていたように思うのですが…。

 これは、少し私の得意領域になるのですが、例えば、国際法でいう「併合」は、「国家の併合」ではなく、あくまで「領域(領土)の併合」です。領土の「国家間の合意による変動原因」のうちの一つに、「併合」と「割譲」とがあるのです(例:島田征夫『国際法補正第三版』136ページ以下)。それは、二当事国の場合、一方当事国の領土の拡張であり、他方当事国の領土全部が併合されると、「国家自体が併合」されたような感じになります。とにかく、ここで(他動詞として~他動詞以外の用法はない)「併合する」国家側が領域主体となることに、一点の疑義もありません。
 これに対して、国家が武力で他国を完全に屈服させて他国の領域を取得することは、「併合」ではなく「征服」といいます(同書137ページ)。

 現韓国政府が、「『併合』ではなく『強占』を用いよ」という理由も、まさにこの点にあります。それは、「韓国併合条約」が一応の「合意」の形式をとりながら、その実は、それに先立つ「乙巳条約」の締結が武力行使に基づく「征服」のような形で行われているからです。しかし、「韓国併合条約」締結それ自体に即していえば、それは「武力で完全に屈服させて」したものでないので、国際法上の「征服」であると断言することも難しい。そういう意味で、「(新しい造語である)強占と呼べ」という韓国政府の主張は、正鵠を射ているのです。ですから、金さんが言うように本当に「史実に即する」ならば、「日韓」「韓国」という語の前半部分を問題にするのではなく、最初からストレートに「併合」を問題にすべきなのです。

 しかし、このことによって、「併合」の意味が変ってしまうわけではありません。併合はあくまで、一方が主体となって、他方の領域(の支配主権)を「取得」することです。「合併」では決してありえません。金さんは、このことをしっかりとした前提として考えておられますか?

 その上で、私は、一般用語の「併合」という意味も、国際法上の「併合」とは異なって「国家の」併合という形でも使われるが、「一方が他方を一つのものにして従える」という意味では変らない、と指摘しているのです。

 なお、私が「中国や日本に対する不平等条約の押しつけを『合法』だとした国際法です」と言ったのは、次のようなことを念頭に置いています。

> 征服は、かつて領域取得の方式として認められてきたが、今日では、戦争の違法化
> と武力不行使原則の慣習法化によって、その有効性は否定されている(前掲書137
> ~138ページ)。

 この「かつて」の時期に、1910年は含まれるのではないか、ということです。武力で他国を完全に屈服させて他国の領域を取得することさえ、「かつて」は国際法上正当化されていた、ということです。
 だから、韓国政府としても、どうしても乙巳条約締結の「無効」を前提として、前々投稿で述べたような法論理を展開する以外にはないのだと思います。


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どのようにコメントすれば良いのか私には分かりませんが 投稿者:金 国雄 投稿日:2006年 3月27日(月)20時33分56秒   編集済
 樹々の緑さん、こんばんは。

 朝鮮の近代史(日朝)に関して、いま樹々の緑さんの認識が非常に混乱しているの
ではないかと私には思えてなりません。(それはある意味、やむおえないものと考え
ますが)

 確か(読み返していませんが)、議論の始まりは用語のことであったと思います。
その中で「日韓併合」、「韓国併合」などの用語に私が言及しました。

 それは用語にも歴史があり史実に則して、また場合によっては差別的、侮蔑的な
意味から是正され変わっていく歴史を持ち、またその動きがあり、使用に注意を即
したのが始まりであったと思います。

 しかし私から見て、樹々の緑さんの反応は少しばかり本題より逸脱しているよう
に思われます。

 また用語に関する理解に少しばかり驚いたのも事実ですが、今しがたの検索によ
って知るに、以外にそうともいえないのではないかと思いいたり知るしだいです。

韓国併合
http://www.c20.jp/1910/08k_heg.html

 *該当のサイトの年表や記述に関して私は是非の判断をすることは行いませんので、
  その点、ご了承のほどをお願いします。

 でも混同をされていたことがうかがい知れます。

>  「併合」という日本語の意味を、現代韓国における意味内容で解釈した上で、日本におけるその使用を取りやめるように求めるのは、「方法論的に誤っている」という私の指摘は、「言葉の意味」という点ではその通りですが、前々投稿でも、それとは別の観点から、次のように書きました。

 私は歴史を学ぶうえで当時、どのような事実があったのかを重要視します。例えば、
ここで取り上げてきました。当時「併呑」、「合邦」、「合併」などの言葉もあったと
記憶しますが、何ゆえに「併合」となったのか。それはけして現代韓国での解釈では
ないものと、考えます。それゆえ先日紹介した、

 交流し、理解し未来をひらく
 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-05-30/02_01_1.html

 でも、日韓で衝突するわけです。

 20世紀の韓日関係を振り返る
 http://www.mindan.org/shinbun/000816/topic/kof07.htm

>  「日本は朝鮮に対する苛酷な植民地支配を行って、日本語使用を強制したのだから、以後日本人は日本語を使うな」という要求は、多分、あなた方にとっても「不合理」に映るでしょう。でも、こうした感情の由来を尋ねると、「日本語使用に対する朝鮮・韓国の民衆の感情における受け止め」が根底にあることが分ります。

 私は金達寿さんの『玄海灘』を拝読していない関係、金達寿さんがどのようなことを
またどのような意味で述べているのか分かりませんので、あまりコメントできる立場に
はないのですが、直裁(申し訳ないのですが)に受け止めて、そのようなことをいまだ
在日はじめ朝鮮・韓国人より聞いた事がないのです。ただし深い意味で金達寿さんがそ
のような表現で植民地支配の過酷、不条理さを表現したのかもしれません。


>  では、「日本は朝鮮に対する苛酷な植民地支配を行う契機として、韓国を『併合』したのだから、『日韓併合』や『併合』という言葉を使うな」という要求はどうだろうか。それは、直接には「日本語の個々の語としての意味内容」とは関係がありませんね。それに思い至ったのです。「史実により則しているかどうか」「方法論的な誤りかどうか」とはまったく別に…。

 私が述べたいのは逆に「日韓併合」や「併合」との用語が事実をあいまいにしている
ということを言いたいのです。

 申し訳ありませんが私は当掲示板で、この用語方の話題のみ取り上げませんのでよろ
しくご理解のほどをお願いします。

 それでは。
  金 国雄 拝


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卒業式における「日の丸」「君が代」強制と韓国「併合」 投稿者:樹々の緑 投稿日:2006年 3月27日(月)09時00分3秒
 金国雄さん、おはようございます。
 この原稿は、昨26日(日)午前の投稿から丸1日、「梁山泊」サイトを参照しないままで書いています。金さんの新たな書込みを発見した場合に、その内容への対応を考えて、伝えようとした私自身の思考が不鮮明になるのを避けるためです。

 出勤前に急いで書くので雑駁になるかも知れませんが、金達寿『玄海灘』の冒頭に、西敬泰が「京城日報社」の入社試験で、鳴戸八之進という日本人社員から日本語の読み書き能力のテストを受ける場面があります。それは、作者金達寿氏の経歴とも重なっている場面だということです(伊豆利彦さんのサイトの記述による)。
 なぜこんなことを書くのかというと、この冒頭の場面は、日本による植民地支配というものの実態が何であるか(あったか)を、具体的に明確に示したものだからです。

 「併合」という日本語の意味を、現代韓国における意味内容で解釈した上で、日本におけるその使用を取りやめるように求めるのは、「方法論的に誤っている」という私の指摘は、「言葉の意味」という点ではその通りですが、前々投稿でも、それとは別の観点から、次のように書きました。

>  ただ問題は、そうした現代日本語としての意味合いの定着に、一般人とし
> ては無意識のうちに、権力者に誘導された「過去の植民地支配の正当化」と
> いう力が働いているならば、それは、別の観点から(「史実に則していない
> から」という理由からではなく)、用語の変更を考える必要があるかも知れ
> ない、ということです。

 その時考えていたことが、いま、もう少しハッキリとしてきたのです。

 つまり、「遠くない過去に、日本から苛酷な植民地支配を受けた人々の気分感情というものを考えなければならない」ということです。

 「日本は朝鮮に対する苛酷な植民地支配を行って、日本語使用を強制したのだから、以後日本人は日本語を使うな」という要求は、多分、あなた方にとっても「不合理」に映るでしょう。でも、こうした感情の由来を尋ねると、「日本語使用に対する朝鮮・韓国の民衆の感情における受け止め」が根底にあることが分ります。
 では、「日本は朝鮮に対する苛酷な植民地支配を行う契機として、韓国を『併合』したのだから、『日韓併合』や『併合』という言葉を使うな」という要求はどうだろうか。それは、直接には「日本語の個々の語としての意味内容」とは関係がありませんね。それに思い至ったのです。「史実により則しているかどうか」「方法論的な誤りかどうか」とはまったく別に…。

 私がこのことに思い至ったきっかけは、もう一つあります。この投稿のタイトルが「卒業式における『日の丸』『君が代』強制と~」になっているのは、そのためです。

 先日行われたWBCで、日本のイチロー(鈴木一朗)選手などが、「日の丸を背負って」と盛んにいうのを、私は複雑な気持ちで聞いていました。また、トリノオリンピックで荒川静香選手が、優勝後日の丸を持ってリンクを一周した光景も、似たような気持ちで見ていました。
 というのは、先日の投稿で、高校時代に「沖縄の核付き基地付き返還反対」のビラを配っていたといった母校で、非常に嫌な経験をしたからです。いまでは、先日話題にした教育基本法改悪とも関連して、東京都では、教育委員会の行政的業務命令によって、卒業式等における「日の丸」「君が代」が強制されています。
 私自身、純客観的には「日の丸」はシンプルで印象的な旗だとは思いますが、それに対する「感情的な受け止め」が、決してプラスイメージではないのです。それは、太平洋戦争で日本の侵略を受けたアジア諸国の人々の気分感情と、程度の差はあっても似ているように思います。つまり、そういう意味では他人事(ひとごと)ではありません。

 そういう二つのきっかけから、「日韓併合」という言葉についても、考え直さなければならないのかも知れないと、今では思っているのです。


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Re: 「併合」「強占」についてちょっと補足します 投稿者:金 国雄 投稿日:2006年 3月26日(日)16時23分27秒   編集済
 樹々の緑さん、こんにちは。

>  その後、金さんからの訂正に対して、私が「それはどういう理由からなのか」と尋ねたことが、今回の議論の直接の出発点ですよね? それで、その点はどうなのでしょうか。私がウィキペディアの記述などを参照して「『植民地史観』によるから誤り」ということにさらに言及したために、議論がややこしくなっているのだとしたら、その点も脇に置いて、当初の単純な質問に答えていただければと思います。
>  要は、私が最初に述べたように、「アケメネス朝ペルシャ」と「ササン朝ペルシャ」とを区別するときに王朝名を用いるが、「李氏朝鮮」という呼び方も、それと同じに使用することが、なぜ不都合なのか、という理由です。「李氏」の「氏」という概念が、朝鮮にはそもそも存在しない、ということが根拠ならば、「李朝朝鮮」ではよいのでしょうか?


 樹々の緑さんの質問の主題が「李氏朝鮮」(李朝朝鮮)の用語使用についてのこと
ですので、その点を今日は述べたいと思います。

 「ウィキペディア」での記述とあり私も今、検索「朝鮮」で拝見しました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE

 「日本における朝鮮王朝の呼称については論議が分かれていた時期がある。
漢字文化圏においては王朝名を王族の姓によって呼ぶことはないためである。」

 私は中東史や欧米史を勉強していない関係、日本での中東史での用語と朝鮮史との
用語での使用の違いを説明することはできません。ただし、中国、東アジア(中世を
みると)では権力の交代によって国号も変わります(「易姓革命」という考え方が根
本にあるのかもしれません)。

 *ただし、「大韓帝国」と改号とされた例もあります。

 それでは「李氏朝鮮」(李朝朝鮮)との呼称・用語は、どのような歴史的経緯から
この日本で生まれ定着してきたのかということのヒントを私は以前の投稿で述べまし
たが、いつから何故に定着させられてきたのか? なぜ「朝鮮」という国名が日本の
統治下(植民地時代)、地域名にされ、「朝鮮」(一時期「大韓帝国」)が「李氏朝
鮮」と呼ばれるようになったのかと。すなわち名実ともに国を奪うことであったから
と私は考えます。

 ここに「歴史的用語」の問題点があります。

 参考までに

文部科学省
http://www.mext.go.jp/
検索語:李氏朝鮮
http://kensaku.mext.go.jp/query.html?qp=url%3Ahttp+-url%3Aindex.htm&qs=&qc=&ws=0&qm=0&st=1&nh=10&lk=1&rf=0&oq=&rq=0&qt=%97%9B%8E%81%92%A9%91N&%8C%9F%8D%F5.x=40&%8C%9F%8D%F5.y=16

 それでは。
  金 国雄 拝


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「併合」「強占」についてちょっと補足します 投稿者:樹々の緑 投稿日:2006年 3月26日(日)09時24分6秒
 金国雄さん、おはようございます。

 対話のテーマが、いつの間にかあらぬ方向へ移行していかないように、昨夜の投稿のうち「強占」と「併合」について、若干補足が必要だと考えました。

 『未来をひらく歴史』の65ページのコラムに「日本は韓国を『強占』したのか、『併合』したのか」と題する記述があります。日本の研究者の執筆分担部分です。

 このコラムの記述内容は、1905年の第二次日韓協約(乙巳条約)が、「赤旗」記事を引用したずっと以前の私の投稿のように、国家の代表者個人に対する強制によって「締結」されたものであるから、無効であり、このことから現代韓国政府は、「したがって、これを前提に結ばれた1910年の『韓国併合に関する条約』もまた無効である」、「よって、無効な『韓国併合に関する条約』によってなされた35年間の植民地支配は不法である」という一連の主張をしていることが分りました。

 これを読むと、現代韓国政府が、「韓国『併合』」という用語にも異を唱えているように受け止められます。
 金さんの「日韓併合」という用語より、「韓国併合」という用語の方が、より「史実に則した」語であるという意見は、これと関係があるのですか?

 私は、上記韓国政府の主張は、あくまで厳密な「法的主張」であり、法律用語としての「併合」を問題にしていると考えています。そして、私が、金さんの問題提起に従って、延々と述べている「日本語の意味」ということは、ここで韓国政府が問題にしている「併合」ではない、ということを、はっきりと言っておかなければならない、と感じたので、その点を補足させて下さい。
 したがってまた、「強占」という言葉についても、金さんが「赤旗」記事を引証されたので、リンク先に飛んでそれを読んだら「強占」という言葉があったために、私の意見を述べただけであって、上記コラムで紹介されている現代韓国政府の主張を直接に問題にしているのでもない、ということを明確に述べておきます。

 「乙巳条約が無効」→「韓国併合条約が無効」→「35年間の植民地支配は不法」という論理の流れは、「法的」に考える限り、当然のものではありません。また、「法論理的に当然にはそうならない」からといって、この問題に関して、その主張が「誤っている」という結論も、当然には出せません。それは、子細に検討して初めて分ることです。
 とりあえずは、「先行行為の要件事実に違法な事実があった場合に、当該行為が無効となるか、当該先行行為が無効である場合に、これを前提とする後行行為の要件事実自体に違法の瑕疵がなくても、後行行為が当然に無効となるか、後行行為が無効であった場合に、これによって行われたその後の無数の行為が、すべて『不法』の評価を受けるか」という問題になるだろうと思います。

 ところで、最初に戻ってしまいますが、私が受験時代にある予備校の「世界史」の講義で、担当講師から「諺文」という表記は(たしか明からの)差別的表現であるから、「訓民正音」と呼ぶべきである、と教えられた、と書いた際に、そのテキストの記述中に「李氏朝鮮において15世紀中葉に」とあったことを書いたのが、そもそものこの議論のきっかけでした。
 その後、金さんからの訂正に対して、私が「それはどういう理由からなのか」と尋ねたことが、今回の議論の直接の出発点ですよね? それで、その点はどうなのでしょうか。私がウィキペディアの記述などを参照して「『植民地史観』によるから誤り」ということにさらに言及したために、議論がややこしくなっているのだとしたら、その点も脇に置いて、当初の単純な質問に答えていただければと思います。
 要は、私が最初に述べたように、「アケメネス朝ペルシャ」と「ササン朝ペルシャ」とを区別するときに王朝名を用いるが、「李氏朝鮮」という呼び方も、それと同じに使用することが、なぜ不都合なのか、という理由です。「李氏」の「氏」という概念が、朝鮮にはそもそも存在しない、ということが根拠ならば、「李朝朝鮮」ではよいのでしょうか?


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Re:Re:訂正了解です(2度補訂しました) 投稿者:樹々の緑 投稿日:2006年 3月25日(土)23時14分59秒   編集済
 金国雄さん、こんばんは。
 きょうは突発仕事で疲れました。
 何れにしても、書き言葉だけでのやり取り、しかも直接に人物を知らない者どうしのやり取りですから、あれこれ脱線気味の誤解は避けられませんね。

> なぜ「用語」にこだわり、大切にするかは、あくまでも史実に則した用語(法)が
> 非常に大切であると考えるからです。それは本質を見失わされないためにも。

 その問題意識は同じです。しかし、ここでの問題はまず、「日韓併合」という用語が、金さんがおっしゃるように、「史実に則した用語」かどうかではないでしょうか。その上で、2つの言葉がどちらも「史実に則した」とは一応言えても、次の引用にあるように、「より史実に則した用語」の方に変更しなければならないのかが問われるのだと思います。

>  また用語もそのため、時代と共に変わっていきます。「韓国併合」、これも現時
> 点での用語です。より史実を反映する用語に変わっていくべきであり、その可能性
> が高い用語と私は思います。

 そして、この2点でいえば、①「日韓併合」という言葉が、「日本による韓国(朝鮮)の植民地化」という意味以外の言葉ではなく、「史実に則していない」とは言えない、と私は考えているのであり、「日韓併合」という漢字熟語の意味・語感・受け止めを、日本におけるそれではなく、現代韓国におけるそれで判断するのは方法論的に誤っている、ということです。
 ただ問題は、そうした現代日本語としての意味合いの定着に、一般人としては無意識のうちに、権力者に誘導された「過去の植民地支配の正当化」という力が働いているならば、それは、別の観点から(「史実に則していないから」という理由からではなく)、用語の変更を考える必要があるかも知れない、ということです。

 ですから、私が提起したのは「李氏朝鮮」という用語についてですが(なぜ「日韓併合」という言葉が選ばれたのか、今でも不可解なのですが、金さんに誤解があるような気がしたので、仕方なく自分の意見を述べているだけです)、「植民地史観によるものなので誤りである」というのはどういう意味なのか、それが解らないので簡単に説明してほしい、と申し出たのです。

 次に、②「より史実に則した用語法に変えていく必要があるか」ということですが、私が当初お尋ねした「李氏朝鮮」という言葉についていえば、それを「朝鮮」と呼び、それより前の時代を一括して「古朝鮮」と呼ぶのが正しいと断定する「歴史観」が(なぜここで唐突に「歴史観」ということを問題にするのかといえば、「李氏朝鮮」が「植民地史観によるから誤り」だとする、ウィキペディアに記載されていた現代韓国に一般的とされる見解が「史観」を根拠にしているからであり、私が勝手に論点を提起しているわけではありません)、もしも、『未来をひらく歴史』における朝鮮前史の記述が前提にしている「歴史観」と同じであるならば、それは「科学的社会主義の立場」からもとても科学的な見方だとは考えられない、と感じたと言っているのです。

 これを、「日韓併合」という用語についていえば、「日本による韓国の併合」という言葉として理解する限り(それは一般人的理解だと思いますが…)、これをわざわざ長くして、「日本による韓国併合」と呼ばないと「史実がより不分明になる」とまでは感じられません。

 また、金さんが引証される「赤旗」記事は私も読んでいますが、そもそも「強占」という熟語自体が、日本語にはないと思います。日本語から生まれない漢字熟語を、人為的に使うべきだとする根拠は、「併合」という漢字熟語に対する現代韓国側からの、自国内の意味に強引に引きつけた、先述した「方法論的に誤った」態度だと思っています。むしろ、日本語における「併合」は、現代韓国における「強占」の意味を担っていると理解すべきなのではないでしょうか?
 「赤旗」で問題にされていた、この「併合」が国際法的に合法かどうかという問題と、「強占」と呼ぶか「併合」と呼ぶかは、直接リンクしないと思われます。それは、「併合」という語は、必ず法律用語として解釈しなければならないと(間違って)考えた場合にのみ、リンクすると思います。そして、現代韓国研究者側はこれを合法でないと考えることと、必然的に用語をリンクさせようとしていると思いますが、日本側の歴史研究者が、国際法的に合法かどうかということと直結させる用語法を志向していないことは、推測できます。
 この点では結局、韓国研究者側は、「日本帝国主義による韓国の強占が国際法的に不法であることを認めよ」という要求を、「用語問題」として提起しているだけで、正面から問題にすべきことを、別の問題にしてしまっている、と感じます。当時の国際法の見地から見て「併合」が合法かどうかということは、第一次大戦前の「西欧的」国際法(日本や中国に欧米列強が押し付けた不平等条約を「合法」だとする国際法です)を前提とするものですから、結論は勉強してみないと分りませんが、何れにしても、その後の国際法の発展を考える限り、「併合」が不当なものであることは明らかだと私は考えます。

 さらに、日本の中学教科書の見出しに「韓国併合」という言葉が使われているのは、それが「日本史」の項目である限り、当然だと言えます。日本国家が主体であることは、とくに断らない限り当然だからです。
 むしろ問題は、これが高校の「世界史」になった場合に、「日韓併合」という言葉は不正確だから、必ず「日本による韓国併合」と長く表記する方向に向うかどうか、ということだと思います。
 そして、その点に対する私と金さんとの感じ方の違いの根底には、「植民地支配に対する基本的見地」の違いがあると言うよりは、「併合」という言葉自体の意味に対する感覚の違いがあるように思われてならないのです。そう考えた上で私は、「併合」という言葉は、日本語の意味では「併呑」に繋がる意味合いがありますよ、「日韓併合」というときに、日本ではその語感で使っていると思いますよと、言っているのです。


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Re: 訂正了解です 投稿者:金 国雄 投稿日:2006年 3月25日(土)20時52分23秒   編集済
 樹々の緑さん、こんばんは。

 私もどちらかといえばアナログ的な人間ですので最近はネットやパソコンのことが
あまりよく分からなくなりましたが、時にネット検索を役だてています。どちらかと
いえば、歴史の勉強は本による方が多いと思います。ゆっくり読むにはやはり本にな
りますし、通勤時間や昼休み時間に目を通すことが多い関係で。


>  ですから、「日韓併合」という用語を使ったから、朝鮮人民が植民地化を歓迎したニュアンスが出る、という感じ方を金さんがしているとしたら、それは多分違います。それは、「日韓合併」という語を使った場合でも、同じだと思います。

>  しかし何れにせよ、定着した後でその「人工的造語だ」という性格が、日本人に違和感を持って受け止められることはないでしょう。違和感があれば、使用への抵抗感となって、結局定着しないで終るだけです。


 少しばかり誤解を与えているようです。私の文章によるものと思いますが、なぜ「
用語」にこだわり、大切にするかは、あくまでも史実に則した用語(法)が非常に大
切であると考えるからです。それは本質を見失わされないためにも。

 また用語もそのため、時代と共に変わっていきます。「韓国併合」、これも現時点で
の用語です。より史実を反映する用語に変わっていくべきであり、その可能性が高い用
語と私は思います。

 先日紹介した、

 交流し、理解し未来をひらく
 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-05-30/02_01_1.html

 にもその一端がうかがえるところがありました。用語にもその歴史と訂正への動き
があります。

 少しばかりネットで調べてみました。参考までに紹介します。

 中学校歴史教科書 日本語版
 http://www.je-kaleidoscope.jp/japanese/index.html


 それでは。
  金 国雄 拝