金国雄さんの家族と親戚一同が、いつまでも幸福でありますように祈ってます。 投稿者:旅人君 投稿日:2006年 1月26日(木)22時50分14秒
私は韓国サイドから北朝鮮を望遠鏡で見ました。
そしたら、北朝鮮の人達がゆっくりと歩いてました。
何か不思議でした。
ジレンマみたいな感じなのでしょうか。
来月に香港に行きます。
香港の面白い話でも書き込みさせてもらいます。
では、また。
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Re:鍋 投稿者:金 国雄 投稿日:2006年 1月26日(木)19時14分31秒
旅人さん、こんばんは。
旅行はどうでしたか? 私も旅行好きですので旅行の話は大好きです。
若いときはほとんど日本国内。やっと6、7年前でしたか初めて韓国に
行きました。在日だからと行って自由にとは限りません。いまだ「反共
法」(現在の正式名称を今、失念しましたが)も建前上?ながらも現存
します。(某在日団体関係者でも一昨年でしたか入国が初めて認められ
た経緯もあります)
このようなことは日本の方にはなかなか理解されないものと思います
が、非常に政治的な部分です。
そような人は、その当時結構いました。「初めて「入国」する時は、
ドキドキする」と私が行った当時も他の在日からそんな話を聞いたもの
です。当然私もこのように初めて入国するときは「ドキドキ」ものでし
た。私のようなものは建前上、最高刑「死刑」ですから。(著名でもな
いし影響力も無いから問題にならなかっただけと思います。その時は在
日のある歴史研究者が釜山で合流して慶州のホテルの一室でともに入国
を祝って乾杯をしてくれたたものです)
中国(在中国大使館)には実名と当HPを示し、脱北者関連で抗議メ
ールを送った関係、中国入国もいまだにひかえているしだいです。「白
頭山」にも是非行って見たいと思っていますが、そのような事情で躊躇
している次第です。(一昨年でしたか韓国側の金剛山観光の窓口「束草
(ソクチョ)」に行きましたが、その時は本当にひっそりとしていまし
た。
いつの日にか「北朝鮮(朝鮮)」にともに行こう、と知り合いの脱北
者の方たちと約束をしているのですが、何時の日になるのか? 今のと
ころ分かりません。
すいません。話が「鍋料理」とは関わり無く脱線してしまいました。
申し訳ありません。
どのような「鍋」料理か分かりませんが、何時の日にか「鍋」を一
緒につっつきましょうよ! 旅人さん、キムチやミョンテ、
本場韓国ミョンテ 70g (検索による)
http://shop.gnavi.co.jp/Mall/96/1426.html
(子供の時よく金槌でミョンテ(乾燥真ダラ)をたたきほぐす仕事を
させられました)
是非、会う時は、旅人さんに私が子供時代を思い起こしてたたいて
造ったミョンテを持参して伺います。
これよりある方の「随筆」(朝鮮語)の翻訳の関係で出かけます。
本当に「さぶい」(名古屋弁で「寒い」)です。
旅人さん、ご家族の皆様にも風邪に気をつけご健康で!
それでは失礼いたします。
金 国雄 拝
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鍋 投稿者:旅人君 投稿日:2006年 1月25日(水)19時55分1秒
今夜は鍋だ。
コチュジャンを入れた。
うまい、うまい。
あ!それと、魚の内臓は大好物です。
これは、亡き小説家の開高健の本に書いてありました。
開高健は湘南に住んでたんですよ。
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Re: 国籍 投稿者:金 国雄 投稿日:2006年 1月23日(月)18時24分13秒
樹々の緑さん、こんばんは。
訂正と補足をしていただきありがとうございます。
人が人として国籍や民族の違いではなくその人の人格によって評価され、
尊敬や尊重され、すばらしい未来をともに築いていける社会が本当に望ま
れます。
そしていつの日にか国家や国籍が存在せず、真に皆さんが自由でお互い
を必要とする真に平等な世界が訪れる日を私は願い続けています。物心が
つき「差別」というものに憤りを覚え、なぜこの世界に「差別」という不
条理な事があるのか疑問に思った日々より今の私は存在してきたと思いま
す。
現実には国家も国籍も差別も強く存在します。しかしそれを乗り越えて
いく状況も同じ社会の中から生じてくるものです。
最近では「多重国籍」の事が話題に上がります。歴史的に見てけして新
しい問題ではないのではないか?と思いますが、最近では日本人の方々の
中からも希望する声も出ているようです。
重国籍を求める気持ち
http://www.kouenkai.org/ist/docf/kimochi0311.htm
国籍選択権とともに多重国籍選択ということもあります。そして韓国でも
最近は「在外同胞法」というものがあります。
民団新聞での検索にて
http://www.mindan.org/search.php
70年代前後でしたか?在日社会でも「国籍」の切り替え運動が両勢力間
で行われていましたが、いまでも同じ家族、兄弟姉妹の中でも「国籍」が異
なる状況も存在します。(「朝鮮籍」を法的にどう見るかという問題はあり
ますが。ただし最近は少なくなってきたものと思います。しかしまた、日本
在住脱北者の方の中にも「朝鮮籍」を選択、持つケースが稀にあります。昨
年直接聞いた話では)
風邪には気をつけお体を大切にしてください。樹々の緑さんの投稿で私も
大変勉強になっています。
それでは。
金 国雄 拝
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Re: 国籍 投稿者:樹々の緑 投稿日:2006年 1月22日(日)23時28分6秒
ご教示、こちらこそ本当に勉強になります。
当地は珍しい大雪で、雪はやんだものの、やむをえない外出時もヒヤヒヤ運転の連続です。
この週末、家に持帰らざるをえなくなった仕事で仕方なく3~4時間睡眠で老骨にむち打っております。いまはその合間に。
ナチス・ドイツに併合されたオーストリアが戦後分離独立した際の、ドイツ在住オーストリア人の国籍処理については、「国籍選択権が与えられた」とのみ、聞いたことがありました。これは、西ドイツの話だったんですね。
今回、金さんからご指摘を受けて、改めて蔵書の関係箇所を参照してみました。それは、大沼保昭『在日韓国・朝鮮人の国籍と人権』(東信堂・2004年10月5日刊)pp137~150、pp161~180です。これは、面白いことに、「北朝鮮本ブーム」に便乗して近所の(ごく普通の)本屋さんが、金東勲『共生時代の在日コリアン~国際人権30年の道程』(東信堂・2004年10月20日刊)を仕入れていたので、それを買ったところ、大沼教授の本がその帯に「最新刊」として紹介されていたので、さらに注文して買ったものです(著者についてはある程度予備知識がありました)。
以前は、金東勲教授の著書の方の、戦後補償問題に関する部分の拾い読み程度しかしていなかったのですが、大沼教授の著書の上記部分、及び「まえがき」「あとがき」「序章 問題の所在」「結び」をざっと読んだ限りでは、この問題は、相当突っ込んで勉強しなければならない問題だと感じました。
先の投稿で「不勉強ながら初めて知った」という見解は、大戦後の東ドイツ政府の立場と相通じる発想があるように感じました。
ただ、「国籍」問題は、不法な植民地化が行われた後、満州国のように国際的認知をまったく受けなかったような場合ででもない限り、事実上の問題として個人レベルでたくさんの法律問題を発生させてしまいます(大沼教授の注にもありましたが、不法な併合中に結婚をした者の戦後の国籍如何、それに伴うこどもの身分や相続における準拠法の決定等々…)。そうした問題に対して、当時の東ドイツ法が、自国領域内に在住するオーストリア国民に対する適切な保護をしていた限りは、問題は顕在化しないまま済んだのでしょう。しかしそれでもやはり、1975年の東独・墺両国間の領事条約を必要としたのですから、問題は必ずしも単純ではなかったのだろうと思います。
むしろ私が懸念するのは、そうした問題にすべて、「植民地化自体が不法なものだったから、日本国籍を有していたことを前提とする処理は一切許されない」というような、政治的に割り切った対処をすることで、個人の人生や運命、生活までもが翻弄されはしまいか、ということです。その点で、西ドイツが結局1956年の第二次国籍問題規制法において、在西独オーストリア人に国籍選択権を事実上(この「事実上」という処理が、物事の考え方を尊重する上で大事な役割を果たしていました)認めたという処理は、充分参考に値するものだったと考えられます。大沼教授も、同著150頁注(34)及び(35)で、その点を強調しています。
それともう一つには、ドイツとオーストリア間のように、もともと近代国家である独立国家として存在していたものが、不法な併合を経て元に戻った、という理解を、日朝間でもすることができるか、ということです。
しかも問題は、ドイツの場合は、併合した側が分裂国家になってしまいましたが、日本の場合は、不法に併合した側ではなく、被併合国が、近代国家としての政府を形成する前(この点の認識は間違っているかも知れません-念のため)に「独立」してしまい、実際問題としてどのように処理すべきなのか不分明だった、と思われることです。
こうした場合、常識的に考えてまず第一に思い浮かぶことは、どのような政権が「新独立国」を代表することとなるにせよ、事態が落着くまでは、名目上「旧日本国籍保持者」として、当然に旧宗主国である日本政府が、国民と同様の保護を図らねばならないだろうということです。その「独立」が、自ら仕掛けた不法な侵略戦争での敗北の結果であれば、その「戦後処理」としても、なおさら当然の事柄だと思います。
こうして、当面の「国籍」問題は、伝統的国際法の「領土変更に伴う国籍変更」というような単純な枠組ではなく、「民族自決と人権の国際的保障」という新しい枠組で解決を探るべきだという、大沼教授の提唱に、一定の説得力を感じるに至った次第です。
また、ご紹介いただいたサイトの「第69題」の末尾の注にもありましたが、「永住権」制度導入という解決法にも、問題を感じました。当該管理人教授の指摘が正しいとすれば、「永住権」放棄とともにする本国への住民登録がなければ、本国での参政権を行使できず、そうすると今度は、日本国内に本拠を持つ生活への手厚い保護を弱められるのではないか、という疑問です。しかし、それを避けるために「永住権」者であり続ける限り、どこの国家社会に対する参政権も持ちえないというのも、これまた変な話です。
仕事上海外に長期滞在する日本国民が、現地国で参政権を行使できず、また日本でも少なくとも(現行法上、国会の比例代表選挙を除いて)投票はできないということとは、性質が随分違うと思います。また、「永住権」保持者すべてを一括りにして「国を棄てた者だ」と決めつけることは、到底できないでしょう。
とにかく、宿題が増える一方の感じで、不勉強を恥じ入る次第です。
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国籍 投稿者:金 国雄 投稿日:2006年 1月21日(土)13時26分28秒 編集済
樹々の緑さん、こんにちは。
御意見を伺い私も本当にそれによって勉強になります。(それぞれの
視点もあります)実は以前、在日の法律関係者と某所(ML)で関連する
ことでお話した事がありますが、それはさておき国籍問題としては「ド
イツによるオーストリアの併合、植民地化によって解放後、ドイツ在住
オーストリア人の国籍が問題になったことがあります。(法的には52
年5月のドイツ条約を)。
実は次のようなことも参考までに一部のみですが紹介します。
「나라와 국적을 언어와 문화를 넘어 세계가 하나되는 아름다운 세계를
아름다운 미래를 그려보며…」
金 国雄 拝
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Re: 近現代史より~瞥見しての感想 投稿者:樹々の緑 投稿日:2006年 1月21日(土)02時46分36秒 編集済
夜中に発見(仕事中)、瞥見しての感想です。
同世代の、京都大学を出られた史学専攻の学者の論考集としては、かなり論争的ですね。いくつか、読んでみました。
私は金さんのように、朝鮮史や植民地支配史・戦後在日史を詳しく勉強しているわけではないので、雑(?)かどうかの判断はできません。
ごく一部しか読まない段階では間違っているかも知れませんが、ごく素朴に読んでの感想として、この方はこれだけ論拠を示してあれこれ他者の主張を批判している割には、在日韓国・朝鮮人と生来的日本人が現実に存在しているこの日本社会の中で、両者の関係をどうしたいのか、どうあればいいと思っているのか、あまり伝わってこない。そこに、何だか不思議な思いがします。
外国人差別と民族差別を厳密に区別すべしとする気持ちは、「論理的には」解らないでもありません。「外国人」という角度で考えれば、おそらく祖国統一だとか国交正常化だとかの問題に繋がるでしょうね。
それと、日本・韓国・北朝鮮何れも当事国である国際人権規約が「内外人平等の原則」を貫こうとしていることへの評価が、ちょっと不明です。結局、同じ領土主権・国家権力の統治下に生活している人間の尊厳は、基本的に同じように尊重されるべきだというだけだと思うんですが…。そこに、「統治団体の構成員」・「国民主権の主体」という意味での国籍が関係して初めて、この方がいう「合理的外国人差別」が肯定されるように思うんですが…。
つまり、そういう論理的順番では、基本的に平等に保障されるべき「人間の尊厳」を、統治権力」の究極的な(名目上の)行使者が、その構成員でないからという理由で類型的に差別できる「合理性」の根拠を、具体的かつ精密に検証しなければならない、というのが、現在の憲法学の到達点ではないかと感じています(こんなこと書き込んで大丈夫かな)。
ただ、「1910年の併合自体が無効だから、在日が日本国籍を有したことは一切ありえな」という主張があることは、不勉強でしたが、初めて知りました。このような論理枠組で考える限り、ポツダム宣言受諾によって植民地だったものがそうでなくなったという、伝統的な国際法の論理枠組で在日コリアンの「国籍」問題を考えることは、「日本国籍だったことを前提とする」誤りだということになるのですね。うーん、難しい。
ただやっぱり最初に戻ってしまいますが、私の乏しい経験でも、明らかに在日だと見越してその弱い立場につけ込むような、在日韓国・朝鮮人へのひどい社会的差別があっても、行政はその場合弱者の味方はしてくれないわけです。だから、泣き寝入りせざるをえないということがあったわけです。そういう「いじめ」は変ではありませんか、やめさせるべきではありませんか、という素朴な気持ちがまずあるわけです。
そして、ひどいことをしている側の者の心理を観察すれば、旧植民地宗主国民としての尊大な気分感情を、無自覚に引き摺っているわけです。科学的・論理的・学問的な論証は、その後からついてくるのであり、よく分ったから「ひどい」という感情が生れるのではありません(ハンセン病患者の隔離政策のように、知識で知ることから感情が生れる、ということもありますが…)。
だからやっぱり、この方は結局、どういう社会を望ましいとしているのか、よく分らないなーという気持ちがしました。もっとも、どこかに書いているのかも知れませんが…。
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近現代史より 投稿者:金 国雄 投稿日:2006年 1月19日(木)21時24分30秒 編集済
近現代史(朝鮮関係)として次のサイト(「歴史と国家」雑考)が
あるようです。
http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/index.html
私は簡略に拝見しての感想として、歴史を扱うには雑と思いました。
ただし、何事に関しても実証し当否を判断するには当該資料等に当た
るなど、その必要性と(あれば)には少しばかり時間等が必要になる
ように思います。
一例としていえば、『朝鮮要覧』(各)にも当たる必要性も生じます。
「平和展」キャプション原稿作成の合間に記す。
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ウリ党には 投稿者:金 国雄 投稿日:2006年 1月19日(木)20時28分0秒
ウリ党内には。
李富栄氏「与党立候補者、北の人権提起すべき」
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=71850&servcode=200§code=200
キ-ワ-ド 李富栄
http://japanese.joins.com/etc/search/search_result.php?searchtxt=%E6%9D%8E%E5%AF%8C%E6%A0%84&x=57&y=12
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Re:機を逸してはならない 投稿者:金 国雄 投稿日:2006年 1月17日(火)20時47分5秒
朝鮮戦争時の拉致被害者家族、国に損害賠償訴訟
http://japanese.yna.co.kr/service/article_view.asp?News_id=200601171101281
韓国戦争時の拉北者家族15人「国家の職務遺棄」損賠訴訟へ
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=71827&servcode=400§code=400