Re: ささやかな疑問より(文献『旅順虐殺事件』) 投稿者:金 国雄 投稿日:2006年 3月 7日(火)20時46分32秒 編集済
今日も昼休みのわずかな時間をかけ『旅順虐殺事件』を継続して読む。時には巻
末に飛んだり巻頭に飛んだりまた、飛ばし読むこともあり。この本はこのような読
み方をすることも良いのではないかと思う本です。そして再度、読み直す。とりあ
えずはこのスタイルで読み解きますが、私にとっては非常に示唆に富み勉強になる
本です。著者(井上晴樹)の著作が少ないことが残念です。
帰宅後、
近代デジタルライブラリー
http://kindai.ndl.go.jp/img/
> 55. 〔日清戦争写真石版〕/陸地測量部編,明27-28
http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40014270&VOL_NUM=00000&KOMA=1&ITYPE=0
> 56. 〔日清戦争写真石版〕/陸地測量部編,明28
http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40014271&VOL_NUM=00000&KOMA=1&ITYPE=0
> 57. 〔日清戦争写真帖〕/陸地測量部撮影,〔明27-28〕
http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40014272&VOL_NUM=00000&KOMA=1&ITYPE=0
> 58. 〔日清戦争写真帖〕/陸地測量部撮影,〔明27〕
http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40014273&VOL_NUM=00000&KOMA=1&ITYPE=0
> 59. 〔日清戦争写真帖〕/陸地測量部撮影,明27-28
http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40014274&VOL_NUM=00000&KOMA=1&ITYPE=0
に目を通しているところです。細かいところが拡大しても写真画像に添付さ
れる活字がよく判読できないところは目にかなり負担になるのですが、何とか
時間をかけ検索による85件全てに目を通していこうと今から考えています。
> 「〔日清戦争写真石版〕陸地測量部編」ということで軍部が編纂していると思わ
> れるのですが、これが『日清戦争真図』と同じものなのか、また誰が撮影したのか
> いまのところ私には判然としないところです。当然、軍部は検閲し写真原版を保持
> できる立場にはあるわけですが。
『旅順虐殺事件』の巻末の引用一覧には該当文献にかんして次のように記載
されています。(新漢字に改め。今後、頻繁に行うことになりますので、この
件での投稿に関しては以後、断りなく改めますので、ご了承のほどを)
「『日清戦争写真図』上巻・博文堂・1895」(川崎市市民ミュージアム所蔵・
田村和一撮影、「時事新報」時事新報社・1894年12月6日付=下)とある関係、
『旅順虐殺事件』にある該当写真に関しては、ミュージアムにある原本から複写
したものと思われます。
そしてよく見ると「55.〔日清戦争写真石版〕/陸地測量部編,明27-28」
には、インデックスに「一般注記: 東京製紙分社及び博文堂発行のものを含めて
合本」とあり「陸地測量部」が、そのような他の写真帖を含め編集したことが読
み取れます。
「陸地測量部」に関しては、『旅順虐殺事件』のなか(P182~P183)の画像「
旅順市街全景(其二)のキャプションに「前見開き項に続く写真。これらを撮影
したのは陸軍陸地測量部らしいが、この組織も謎に包まれている。」とあり、十
分そのことを著者は認識している。
まだネット検索をしていませんが、私も以前、朝鮮の近代史に関わる本を読ん
でいて、「陸地測量部」に関することが出てきた記憶があります。どの本であっ
たか今は探し当てることができませんが、秘密裏に朝鮮半島の現地調査に基づく
地図作り(軍事上)を早期に行っていたというものでしたが。
今日のところはこれにて。
検索「陸地測量部」
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%CE%A6%C3%CF%C2%AC%CE%CC%C9%F4&fr=top&src=top&search.x=37&search.y=14
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Re: ささやかな疑問より 投稿者:金 国雄 投稿日:2006年 3月 6日(月)23時17分21秒 編集済
> 近代デジタルライブラリー
> http://kindai.ndl.go.jp/img/
にて「日清戦争」で検索したところ、
『旅順虐殺事件』
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/19675425
の<P158~P159>にかけて載っている絵と同じ写真が載っていました。
まずは『旅順虐殺事件』の説明文より。(新漢字に改め)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
「戦争後の旅順市街の真景」
一見、写真と見紛うこの絵は『日清戦争真図』上巻に写真版になって収められ
ている。記載が正しければ、占領直後の一風景ということになる。画家名は記さ
れていないが、浅井魁一の写真をもとに浅井忠が描いたものらしい(以下略)
(*説明によれば「絵」とは写真から描き起こされたもの。両脇には中国人と思
われる死体が多数見受けられる)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ライブラリーの検索(日清戦争)では、85件の文献がヒット。その中、
次の写真帖があります。
55. 〔日清戦争写真石版〕/陸地測量部編,明27-28
56. 〔日清戦争写真石版〕/陸地測量部編,明28
57. 〔日清戦争写真帖〕/陸地測量部撮影,〔明27-28〕
58. 〔日清戦争写真帖〕/陸地測量部撮影,〔明27〕
59. 〔日清戦争写真帖〕/陸地測量部撮影,明27-28
このなか今日のところは時間がなく、「55. 〔日清戦争写真石版〕/陸地測量部
編,明27-28」しか目を通すことができませんが、不鮮明ながらこれが『日清
戦争真図』(『旅順虐殺事件』の説明によれば)と同じものであることはほぼ確認
できるものです。
廿四 戦争後ノ旅順市街ノ真景[32コマ]
http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40014270&VOL_NUM=00000&KOMA=1&ITYPE=0
「〔日清戦争写真石版〕陸地測量部編」ということで軍部が編纂していると思わ
れるのですが、これが『日清戦争真図』と同じものなのか、また誰が撮影したのか
いまのところ私には判然としないところです。当然、軍部は検閲し写真原版を保持
できる立場にはあるわけですが。
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Re: ささやかな疑問より 投稿者:金 国雄 投稿日:2006年 3月 6日(月)20時08分14秒 編集済
「平壌でわたしが泊まっていたのはふつうの宿屋ではなくある仲買人の家で、
名目上はわたし専用の中庭がついていたものの、どう見ても専用とはいえな
かった。ふつうはイムが入ってくる人々に「出ていってほしい」とそう乱暴
ではない言い方で注意したが、二度だけ例外があった。一度は徳川からもど
ってきてから見かけも服装も上流風な狂女につきまとわれ、わたしの部屋の
前でうろうろされたり、伝道館をはじめどこへ行くにもついてこられたとき
である。狂女はわたしが祖母で、どこまででもお供しなければならないのだ
と言い、気の触れた人々の多くがそうであるように、なにか重大な話をわた
しにしようとするものの、わたしにはなんのことやらさっぱり通じなかった。
この女性は前平壌府行政長官の愛人で、戦時中平壌にとどまっており、清国
兵が日本兵の銃剣に刺し殺されるのを見たショックから狂ってしまったので
ある。長い千枚通しを持っており、凶行におよぶ兵士の悲しいまねをいやと
いうほどしてみせたものだった!」
(P372)
他に第二六章「松都から平壌へ」を参照のほど。
『朝鮮紀行』
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/19536182
> 『旅順虐殺事件』のp301には、
>
> (中略)
>
「倭兵先に牙山に乱入し無辜の朝鮮人三千余人を虐殺せり其残酷黙過する
に忍びず今天兵特に来つて被害三千韓人の為に倭兵を滅して其仇を報ぜんと
するものなり」
中略部分を新漢字に改め(ただし「先」が該当の新漢字かどうか自信なく)。
<参考まで>
有賀長雄
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%CD%AD%B2%EC%C4%B9%CD%BA&fr=top&src=top
日清戦役国際法論
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%E6%97%A5%E6%B8%85%E6%88%A6%E5%BD%B9%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E6%B3%95%E8%AB%96&ei=UTF-8&fr=top&x=wrt&meta=vc%3D
近代デジタルライブラリー
http://kindai.ndl.go.jp/img/
での調査では『日清戦役国際法論』は見つからず。
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Re: 3月を迎えて 投稿者:金 国雄 投稿日:2006年 3月 5日(日)23時02分27秒
享安山人さん、こんばんは。
久しぶりに近況をお聞きして、私は本当に嬉しく思っています。また
できれば、お会いできればとも思っています。
しかし私には、享安山人さんの意見に同意できないものを正直持って
います。
> どんな時代でも、人間には逃れ得ぬ宿命があります。
> 生まれる国、民族、親、どれも少なくとも生まれた時点では
> その人の宿命として定められたものです。
生まれいでる条件を選択できないということであれば、その通りと思
いますが、人生(生き方)を、その時代と社会の中で築いていくという
点では人は能動的ではないかと私は思います。(時代の制約制は受けま
すが)
例えば朝鮮(北朝鮮)の人々(国民)が置かれている状況が、けして宿
命であるという事ではないと同様と考えます。
大切なのは、各人一人一人が社会を構成し変革していく主体であるとい
うことと、そのことを社会が根底に要請することの重要性を如何に認識す
るかと思います。
> 皇室の方々の発言集や日記(『高松宮日記』等々)を読むと
> それぞれの方々が人間として自分の身分に疑問を持ちつつも
> やがて宿命の中で国家国民の為に如何に生きるべきか模索しておられる姿に
> 接する事が出来ます。そのような模索、そしてその中で生まれる決意に基づいた人生
> そういうものに私は敬意を抱く者です。
例えば「軍人勅諭」、「教育勅語」など、その目指すところなど参考に
君主制(絶対制であれ立憲制であれ)と国民との関係をやはり直視するこ
とも大切ではないかと考えます。その意味で言えば不十分ながら今上(明
仁)天皇は次のように、
□天皇陛下のお誕生日に際しての記者会見の内容とこの1年のご動静
http://www.kunaicho.go.jp/kisyakaiken/kisyakaiken-h17.html
述べています。
「この過去の歴史をその後の時代とともに正しく理解しようと努めるこ
とは日本人自身にとって,また日本人が世界の人々と交わっていく上にも
極めて大切なことと思います。
戦後60年に当たって過去の様々な事実が取り上げられ,人々に知られ
るようになりました。今後とも多くの人々の努力により過去の事実につい
ての知識が正しく継承され,将来にいかされることを願っています。」
> この地上に生まれた人間は皆平等に貴い。
> しかし人間が伝統に基づいた秩序ある社会を形成する以上は、
> 特別な宿命を負って生まれる方々は
> やはり必要であると思います。
> (私は立憲君主制を国家の安定性等から至上の政体だと考えております)
社会は変わりうるものですし当然、秩序も変わりうるものと考えます。
そこには特別な人が必ずしも必要であるとは私は思わないのです。
その意味で言ってもやはり「人に貴賎なく」ということと思います。
以下略として。
それでは失礼いたします。お体を大切に!
金 国雄 拝
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3月を迎えて 投稿者:享安山人 投稿日:2006年 3月 5日(日)20時46分9秒
金国雄さん、こんばんは。
こちらでは今日は快晴、しかも少し汗ばむほどの陽気でした。
上着を春用の薄物に替えておいたのは良かったのですが、
ハンカチを忘れてしまい教会では汗を袖でぬぐいました。
近くの公園の梅は八分咲きといった所でしょうか。
どんな時代でも、人間には逃れ得ぬ宿命があります。
生まれる国、民族、親、どれも少なくとも生まれた時点では
その人の宿命として定められたものです。
皇室の方々の発言集や日記(『高松宮日記』等々)を読むと
それぞれの方々が人間として自分の身分に疑問を持ちつつも
やがて宿命の中で国家国民の為に如何に生きるべきか模索しておられる姿に
接する事が出来ます。そのような模索、そしてその中で生まれる決意に基づいた人生
そういうものに私は敬意を抱く者です。
「貴ありて賤あり」と階級社会を説く言葉があります。
然し私は「貴ありて賤無し」と言いたいのです。
この地上に生まれた人間は皆平等に貴い。
しかし人間が伝統に基づいた秩序ある社会を形成する以上は、
特別な宿命を負って生まれる方々は
やはり必要であると思います。
(私は立憲君主制を国家の安定性等から至上の政体だと考えております)
但し万が一その特別な宿命を自己の利益の為に
利用する事のみを考え、民の存在を忘れればその宿命は呪縛と化し
遂には皇室自らの破滅を招くでしょう。
(14世紀の花園天皇の『誡太子書』に説かれている戒めです)
皇室の方々はそれは既に十分承知でおられると信じています。
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Re: 平等と秩序と 投稿者:金 国雄 投稿日:2006年 3月 5日(日)19時05分38秒
享安山人さん、こんばんは。
享安山人さんの住んでおられるところの今日の陽気はどうでしたか?
春の訪れはやはり心穏やかに感じるものです。そして少しばかり活発
になりますね。
今日など各行楽地での人出も多かったと思います。当地(動植物園)
でも多かったです。家族連れなど手作りの弁当を持参しひろげて昼食
をとっている微笑ましい光景が多く見受けられました。
そのような時、本当に平和というものを実感します。できうるなら
同じく平和を世界各地で望みたいと思います。
平等も平和もそして自由も追い求めても簡単に手にすることができな
いかもしれませんが、それでも人類のそれへ向けての闘いの中で多くの
貴重な成果となる遺産とその歴史を私たちに残してこられた。それを継
承し発展させていくことも現代における私たちの責務と私は考えます。
宮内庁ホームページへようこそ
http://www.kunaicho.go.jp/
千年以上ですか、そろそろ天皇はじめ皇族も解放されても良いのでは
ないでしょうか? 「神から人間へ」。そして今度は「普通の人に」。
春の訪れを喜び。それでは。
金 国雄 拝
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啓蟄 投稿者:金 国雄 投稿日:2006年 3月 5日(日)18時42分5秒
昨日今日と春の訪れを思わせるような陽気。穏やかで暖かな春日和。
先日より庭や垣根の木々や草花が色を変え勢いを増したように感じま
す。
今日は体力づくりも兼ね自宅より車で15分ほどのところにある、
名古屋市動植物園に出かけてきました。梅も2分咲ほどでしょうか?
(今日撮った画像を掲載)
東山動物園
http://www1.ocn.ne.jp/~ngyzoo/
東山植物園
http://www5.ocn.ne.jp/~nhbg/
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平等と秩序と 投稿者:享安山人 投稿日:2006年 3月 5日(日)13時58分0秒
こんにちは。
教会(プロテスタント)での礼拝からたった今戻ってきました。
「人はみな平等」は多くの人が追い求め、過去の数多くの革命や動乱でも
それが掲げられました。ただ、私の見る所ではその実現に成功した例は
今現在見られません。多くの「共和国」でも厳とした差別が存在し
旧社会主義諸国でも「赤い貴族」が新たに生み出されただけでした。
建前上大統領も一労働者も同じだと万人平等を謳い、
実質的に差別社会である「共和国」というものは
君主制の国家より国民への目くらましが掛かっている分性質が悪い、
というのが私の見解です。
私は千年以上「日本国」を成り立たしめてきた天皇の存在は
貴重なものであると考えます。
政治的権能を有せず権威のみを保持する象徴天皇制は
現代日本社会の安定と平和的秩序の維持に貢献する所大であり
暴走し得ない権威を上に戴く事で却って実質的平等が実現できる
そう思います。
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Re: 天本英世 投稿者:金 国雄 投稿日:2006年 3月 5日(日)08時12分48秒
私はテレビや映画の中での天本英世氏しか知りませんでした。
旅人トンセンが紹介してくれるまで著作もまた知らなかった。
検索で次の記載が。
■ジプシーのように生きる
http://www.mskj.or.jp/chinika/9501cnknextstage.html
>天皇の存在についても、「人はみな平等」の社会における「最大の差別」
この人にも見えているですね。
文章を読むと非常に興味深い人物に思えます。
70年代初頭ごろでしたか、海外放浪や国外定住が若者に流行っていた
時期があったと思います。そのような本を読んで私もあこがれた時が。
ただ出国、帰国が自由でなかった時代だったため今も日本に住んでいるの
かもしれない。もしもあのとき自由であったら今頃、どこで暮らしていたの
か。
同じサイトには
隣の人は外国人
http://www.mskj.or.jp/chinika/9503cnknextstage.html
もあり、先日の「滋賀県長浜市」での事件は本当に心が重い問題です。確
か朝日新聞の投稿欄にも事件後、同じく中国から嫁がれた方の投稿が載って
いました。
それでは。
金 国雄 拝
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ささやかな疑問より 投稿者:金 国雄 投稿日:2006年 3月 3日(金)22時02分46秒
ここのところ各掲示板(以前より当掲示板でも)では「南京大虐殺」
に関連した話題が上った。以前、『朝鮮紀行』を読書中、そこでは日清
戦争での「平壌戦役」に関してと思われるところで「狂乱したある女性
」の話が出てくるのですが、なぜかその事が気になり再度『朝鮮紀行』
に目を通し該当するその記述を探しているのですが、今日のところまだ
目にすることができません。私にはなぜか、そのことが気にかかってい
たところ、次の文献に目がとまりました。
『旅順虐殺事件』
http://books.yahoo.co.jp/book_detail/19675425
これを昨日、図書館(教化センター図書室)でお借りして、私が気にか
かったところの疑問を解くため、仕事の合間の昼休み時間を利用して読み
出しているところです。
「日本の対外戦争での日本軍による市民を含む大量虐殺の歴史」は、い
つより始まり、何故そのようなことが行われてきたのか。確か「日露戦争」
での捕虜の処遇に関して歴史書には多く取り上げられています。
真宗大谷派名古屋別院でも当時、一部ロシア軍将兵捕虜の収容所に当て
られた歴史も存在します。
「南京大虐殺」の前史には、すなわち日清戦争でおこった虐殺事件は、
同時に日本における人の命の軽視された歴史を探ることになるのではない
かと私には思われてならない。(勿論、朝鮮の封建支配体制が抑圧社会で
なかったということを意味しない)
『旅順虐殺事件』のp301には、
「旅順以前はどうであろう。旅順に先立つ四か月前の七月に起きた、日清戦争
の緒戦ともいうべき牙山の戦闘は、今日みる限りにおいては戦争のなかの一こま
という印象を持つのみである。「東京朝日新聞」(一八九四年九月九日付)の「
清軍の懸賞」と題する記事をみると、清国兵営が朝鮮の黄海道と平安道を旅行し
ている日本人を捕えてくれば馬蹄銀を賞金として与える旨の告示を出し、告諭文
が各所に貼り出されていることが伝えられている。告諭文のなかには、次のよう
な意味の部分があったこともまた伝えている。
(中略)
これが真実であるとするならば、一説に二千名の犠牲者が出たという旅順を上
回る虐殺が、日清戦争の始まりからあったことになる。」
検索より
旅順虐殺事件
http://search.yahoo.co.jp/search?p=%CE%B9%BD%E7%B5%D4%BB%A6%BB%F6%B7%EF&fr=top&src=top&search.x=22&search.y=14
民衆法廷の思想
http://www.hanmoto.com/bd/ISBN4-87798-190-X.html